中国の本質とは何か (第1回)・・・私的な考察


 前回までの夢の解釈を発展させて、私なりの中国問題を考えていきたいと思う。とにかく中国に関してはわからないことだらけである。特に2010年の尖閣諸島漁船衝突事件以来、どうしてこのようなことをするのか不可解なことが多すぎる。私のような特に中国に関心のないものにとってみれば、このように感じるのは当然のことであろう。それまで中国問題に関わっている、中国に関心のある人にとってみれば予想できたことなのかもしれない。

 最近知ったことであるが、東洋史で高い評価を受けている岡田英弘という歴史学者は、 1,970年代に日中国交正常化が行われた当時から、中国が尖閣諸島に仕掛けてきているような侵略的行為を、やがて始めるだろうと警告していたそうである。しかし、その当時はこの言葉に耳を傾ける人は誰もいなかったそうである。当然、この人は中国べったりの学界からは敬遠されていて、世界的には高い評価を受けながら日本では孤立していたようである。

 私は30年あまり前、機械設計の仕事をしていて小さな設計事務所に勤めていた。そこで大手の鉄工所からの依頼を受け、機械の図面を描いていた事がある。その中に中国のアスファルトプラントに関する仕事があった。そのプラントの設計は日本とはまるで違う広い土地を使ってのものであり、さすがに日本とは違う土地の広さがあると、それだけで感じたものである。

 日本は第二次大戦後、焼け野原から奇跡の経済復興を遂げた。しかし、中国は文化大革命の混乱の中で、そのような経済発展はできなかったのである。戦勝国と思っていた彼らは敗戦国である日本の高度経済成長を見て仰天した。そんな馬鹿なと思っても、現実は現実である。そこで方針を転換し、改革開放路線をとることにより日本などから科学技術を摂取し、経済発展を目指したのである。そして中国は大きな経済発展を遂げた。その経済発展を遂げたのは日本や欧米のおかげであることは明白である。ところがその経済発展により軍事力を強大化し、その日本に侵略的行為を仕掛けてくるというのは一体どういう神経をしているのだろうか。

 これらのことに関しては、少し前まで徹底した自虐史観が日本に浸透していたことが大きかったと思う。中国がそのような行為に出ても、どうしても日中戦争や南京大虐殺のことを思い浮かべてしまうのである。心のどこかにある後ろめたい気持ちが、中国の横暴に対する反発を弱めてしまっていたのではないだろうか。これは既に心理戦においても劣勢になっているということである。

 さらに、この時の政権が民主党であったということが決定的に重要であった。今では中国、韓国の傀儡政権であったことが明らかになっているが、この時は全くわからなかったのである。気づいている人はいたと思うが、それは実に少数派であっただろう。民主党政権は中国や韓国、北朝鮮に利する政策をどんどん進めていたのである。外国人参政権ももう少しのところで成立してしまうところだった。尖閣諸島での漁船衝突事件の犯人の取り扱いは全く異常だった。その2か月前に国防動員法を発表し、中国は押せ押せムードだったのである。その次の年には東日本大震災が起き、巨大津波と原発事故でまさに日本は危機的状況だった。中国の攻勢は続いていたし、 2012年には韓国大統領が竹島に上陸した。まさに悪夢のようなではなく、悪夢そのものの民主党政権時代だったのである。さらに中国では共産党が密かに大衆を先導して、反日デモ暴動を起こした。それに関する事が前回ブログで取り上げた夢の話である。

 しかし、 2012年はその年の終わりの衆議院議員選挙で民主党政権から自民党政権への復帰が決まり、安倍政権が誕生するという大転換の年になった。民主党政権時代の3年間で、私は猛烈な危機意識が芽生えたが、それは多くの日本人にとって共通のもののように感じられる。これがジャンピングボードとなって、その後の社会の動きを決定付けたのではないだろうか。もうひとつ重要な事は情報が中国、韓国の傀儡であるマスメディアに独占されるのではなく、インターネットの発達により多くの多様な情報が伝達され、そして自らも発信できるようになったことである。情報がマスメディアに独占されたままでは、いくら危機意識を持っていたとしてもどうにもならなかったであろう。

 そのような中で、この頃から中国関連の情報もインターネット上で爆発的に増えたように思う。中国や韓国に対する危機意識が多くの人に共有されるようになってきたということだろう。そして中国関連の書籍も多く出版されるようになっていった。私は中国にそれほど関心があるわけではなく、昔からそのような本を読んでいたわけではないが、 2010年以降に出版された中国関連の書籍はそれ以前のものとは何か性質が違う・・・それは多少の内容の違いではなく、根本的な違いがあるように感じられるのである。

 新しく出版された書籍を読むと全く聞いたこともないような史実が書かれてある。例えば後漢の終わりに黄巾の乱が起こり、三国志で有名な三国時代になったが、この時に人口が10分の1にまで激減したというのである。そして事実上、漢人は絶滅したというのである。 「なんだって! ? 」と思った。そんな話は聞いた記憶がない。このような史実は非常に重要な事柄であるはずだ。自分はたまたま知らないだけなのだろうか-しかし、そのようなことが多く出てくると、このような史実は意図的に隠されてきたのだということがわかってくる。中国のイメージにマイナスになるような史実(あるいは解釈)は極力避けられてきたのである。後漢が終わるのと同時に漢人はほとんど絶滅した、ということになれば中国4000年の歴史も何もあったものではないだろう。つまり、このころから初めて中国の本当の実相がわかる書籍、あるいはインターネット上の情報に触れられるようになってきたのである。これは素人である私がそのように感じているだけかもしれないが、社会の趨勢としては間違いないのではないだろうか。

 私は専門家ではないが、中国の日本に対する姿勢に対し、インターネットの情報や何冊かの書籍を読み、理解しようとした。そのことをまとめて書いていきたいと思う。尖閣問題から、なぜ経済成長にこれほど協力的であり、重要な隣国に対してあのような高圧的で侵略的な態度に出られるのだろうか-この疑問が出発点だったのである。中国の内情は徐々に分かるようになってきた。約束やルールを守らない、盗用やコピーが横行する、そして他者を信用せずその存在を無視するところがある。そして何よりも実質が伴わないのに外観だけは立派なものに見せかけるのである。賄賂社会であり、権謀術数の限りを尽くす。その政府は巨大なマフィアか暴力団である。騙し合いの社会であり、人間関係の真実というものは一体どこにあるのだろうか。

 インターネットの政治ブログのコメントに非常に参考になるものがあった。そのコメントは中国の本質を一言で表すと「自己肯定し、他者の存在を無視する文化」だというものである。そうすると、まさに日本はその正反対であるといえるのではないか。すなわち「自己否定し、他者を尊重する文化」である。この自己肯定と自己否定は単純なものではなく、かなりの注釈が必要である。日本人はよく「自分自身を肯定しなければならない」ということがいわれるが、このように意識しなければならないという事は基本的に自己否定があるからである。それが行き過ぎるために、自己肯定がいわれるのである。今の自分を否定して、より良い方向に向かうにはどうしたらよいか、良くいえばそのような姿勢である。中国人の自己肯定というものは、そのような自己否定の契機が全く存在しないという意味である。だから日本人のように「自分自身を肯定しなければならない」と意識する必要は全くない。それくらい自己肯定的なのである。

 それと同時に他者の存在に無頓着であり、たとえどうなろうが関心を持たない。その他者を利用し、騙して利益を上げる事は当たり前のことであり、そのことに罪悪感を感じることはないのである。例えば、科学技術の知的財産権を尊重しようとする姿勢は全くなく、その情報を盗む事は当たり前のことだとされる。これらの事はまた詳しく考えていきたいが、私が疑問に思った事は、万人が万人に対し自分だけを肯定し、他者を無視してしまえばその社会は成り立たず、崩壊し消滅するのではないか、いうことである。しかし、中国社会(支那大陸の社会)は存続し続けている。これは必ずどこかで信頼しあえる人間関係が存在しなければならない-はずである。ある意味、この本当に信頼しあえる人間関係が中国における社会の実体、本質と言えるのではないだろうか。

 その疑問に答えてくれた本が、石平 著「中国人の善と悪はなぜ逆さまか」である。この本を参考にこの問題を考えていきたい。まず、ネタバレ的なことになるのをお断りしておきたい。それくらい最初から面白いのである。

 石平氏は日本に帰化した元中国人である。中国には多くの親族が住んでいる。その中に父親が学問的業績と名声のある大学教授であり、息子や娘たちもみな良い大学を出て政府機関や大企業に勤めているエリート一家がある。その父親A教授は人文科学が専門であり、石平氏は多くの有益な話を聞くことができた。その中で特に印象に残っているのが、A教授は共産党の腐敗問題に強い関心を持ち、深い憂慮をいつも示している事である。中国歴史上の腐敗問題に詳しく、明王朝崩壊の歴史などを振り返りながら「腐敗の蔓延は結果的に政権の崩壊、天下大乱につながるから、党中央が本腰を入れて厳しく対処しなければ中国は危ない。このままでは共産党が滅び、国が滅ぶのだ」と熱く話すのである。石平氏にとってこのA教授は尊敬すべき親族の1人だったのである。ところが、このA教授に対するイメージが完全に崩れてしまう出来事が起きたのである。

 A教授の娘は政府機関に勤めていて、その夫は名門大学を卒業した税務局の公務員である。その頃、日本にいた石平氏は地元に帰省した時、この娘夫婦が高級マンションに引っ越す事を知った。石平氏はなぜ、そのような高級マンションに引っ越すことができたのか、その理由を知ることになる。その娘夫婦の給料では到底不可能な最高級なマンションだったのである。それは地元きっての民間大企業の経営者が税務局の局長になった夫に近づき、賄賂によって自社の巨額脱税を見逃してもらったのである。その見返りの賄賂がその高級マンションであり、家電家具付きでプレゼントされたのである。

 石平氏は非常に驚いた。普段から腐敗をあれほど厳しく批判しているA教授の娘夫婦が、よりによって正真正銘の腐敗に手を染めたのである。石平氏はその話をしてくれた母親にこのように聞いた。 「A教授は知らないのか。知っていたら怒らないのか」すると母親は不思議そうな表情でこのように言った。 「もちろん知っているよ、親族は皆知っているから。しかしどうしてA教授が怒らないといけないのか。自分の娘さんがあんないいマンションに住むんじゃないの。何に怒るのか」と聞き返してきたのである。そして、そのマンションでのホームパーティーに行った石平氏は、A教授の態度を注意深く見ていた。A教授は上機嫌で、得意満面な表情で手放しで喜んでいたのである。つまり、A教授は普段話している社会全体の腐敗と、自分の親族の腐敗とではまったく別の基準で考えているのである。 いや、考えているというより親族の腐敗は腐敗とは認識していない、といった方がよいだろう。

(次回に続く)

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