真珠湾攻撃から78年-戦後レジームへの目覚め


 もうすぐ12月8日がやってくる。今から78年前、日本が真珠湾を攻撃し、大東亜戦争(太平洋戦争)が始まった日である。

 1941年11月23日、現在の北方領土、北海道択捉島単冠湾、何の変哲もない北海の島は1度だけ歴史の舞台に登場する。この日島民たちは度肝を抜かれた。見たことも無い巨大な軍艦が数十隻、湾内を埋め尽くしていたからである。大きな軍艦の中には大砲がなく上部が平らな船もあった。海軍の命令により、島は一切の船舶の出入りが禁止された。島内にあった唯一の郵便局は通信業務を停止させられた。 11月26日早朝、湾内は深い霧に包まれていた。そしてその霧が晴れた時、大艦隊は忽然と姿を消していたのである。島民は夢を見ていたかのような感覚を持っただろう。択捉島は真珠湾攻撃に向かう連合艦隊が極秘に集結する地点だった。

 真珠湾奇襲攻撃は成功したとみなされている。その当時日本も当然そのように思っていただろう。しかし、それすらもルーズベルト、さらにはスターリンの手のひらの上であったことを知る由もなかったのである。私の子供の頃から聞かされた戦争の話は、日本が宣戦布告前に真珠湾を攻撃し、アメリカの怒りを買いその反撃によって戦争に負けたということである。アジアを侵略したのは日本であり、アメリカがそれを解放したのだ-という話だった。

 だが終戦から2、30年後の頃はまだ客観的に戦争の事実を表現できたように感じられた。私の母方の祖父は戦時中に召集され、フィリピンに行く途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃により輸送船が撃沈され、何日も漂流した後やっとのことでフィリピンにたどり着いた。しかしその後も戦闘が続き、 九死に一生を得て終戦後帰国することができた。子供の頃は何度もその祖父から戦争の話を聞かされたものである。戦争は悲惨だ。戦争してはいけない-当然このようなことが繰り返しいわれるわけだが、なぜそのようなことに至ったのかという理由を考えなければならないはずである。しかし、どうもそのような理由を追求するという姿勢が周りの大人達に欠けているのではないか、と子供心に感じたものである。

 わたしは読書好きで様々な本を読んでいたが、その中に太平洋戦争関係の本も何冊かあった。戦艦大和の話や広島長崎の原爆投下などの本も読んだことがある。しかし、決定的だったのはテレビのアニメーション番組「決断」だった。アニメーション番組といってもかなり史実に忠実であり、ドキュメンタリーといってもよい番組だった。そのためアニメーションとドキュメンタリーをかけ合わせた「アニメンタリー」などとも呼ばれていた。これは太平洋戦争全体の真珠湾攻撃から終戦までの通史として、重要なポイントを取り上げて現場の指揮官などの決断をテーマにしたものである。決して戦争を美化するといったものではなく、戦争を客観的に捉えようとした番組だったと思う。案の定、左翼からの強い抗議があったらしく、その番組は二度と再放送される事はなかった。実に惜しい話で、このような番組が繰り返し再放送されていたら日本もかなり変わったものになっただろう。戦争を知り、戦争を考えるから戦争が起きるのだという異常な左翼論理がここでも見て取れる。

 その「決断」の中で決定的に重要だったのは「ミッドウェー海戦」だった。戦争の大転換点となった戦いである。日本海軍は一度に空母4隻を失うという大敗北を喫した。このことに衝撃を受けた私は関連の本をかなり読み漁ったものである。この当時は戦後の研究がかなりまとまった時期になっていて、一般向けのかなり詳しい戦史本が出版されていたのである。それからおそらく1,980年代前半くらいまでの時期は大東亜戦争、太平洋戦争を客観的に捉えようとする傾向は残っていたのである。もちろん、自虐史観の刷り込みも続いていたのだが、戦前から戦中を生きた人がまだまだ社会の中枢にいたことが大きかったのだろう。しかし、その後に団塊の世代が社会の中心になるにつれ、そのような客観性は急速に消えていったように思われる。それに入れ替わるように自虐史観の新たな捏造が生み出されていったのではないだろうか。靖国神社参拝への批判、すでに解決されていたA級戦犯なる用語が繰り返し新聞に登場した。南京大虐殺、慰安婦問題などが繰り返しマスメディアで報じられ始めたのである。(A級戦犯がすでに解決されていたものであることを知ったのも最近のことである)

 すなわち、団塊の世代こそ戦後レジームを担う中心的な世代である。この世代が社会の中核を形成する時、戦後レジームは最盛期を迎えたのである。そこでは自虐史観の様々な捏造、偏向した報道、そして都合の悪い事実は報道しない、隠蔽されるといったことが数限りなく起こっていたのである。もちろん、この勢力は団塊の世代だけでなくその前後に広がっているわけであるが、やはり団塊の世代が最も中心になるであろう。 (もちろん、例外となる人もいる)しかし、情報の隠蔽というものはGHQ占領下から連綿と続いているものであるし、またそこには様々な限界もある。 80年代に読んだ保守よりの本にしても、戦争の原因を軍部の暴走によるものである、としたものが多い。そのような中で、私自身はこのような問題にあまり関わらなくなった。他に興味のあることが多くあったということもあるし、何よりも自虐史観の様々な出来事に嫌気がさしてきたということもある。だが、 NHKなどの報道機関が繰り返し流す太平洋戦争関係の番組に相当程度、洗脳されていたことは間違いない。なにしろ、それを相対化するような反対の事実なり歴史観は全く存在しなかったのである。また、存在していたとしても全く周りに届かない小さな声でしかなかっただろう。

 そのような中で社会に大きな変化が起こり始めた。インターネットの登場である。戦後レジーム勢力、すなわち反日左翼を中心とした勢力はこのインターネットによって、さらに自分たちの目的が達成されるべく前進できるだろうと考えていたようである。ところが、現実はその正反対の方向に動くことになった。戦後レジーム勢力の最大の成功となった民主党政権の誕生は同時に中国の強烈な反日活動に連動して、悪夢のような民主党政権時代とみなされ、日本国民の覚醒の発火点となったのである。私自身、それからしばらくして戦後レジームに目覚める決定的な瞬間が訪れることになった。それを次回に書いてみたいと思う。 (次回に続く)


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