真珠湾攻撃から78年-戦後レジームへの目覚め (前回の続き)


 安倍政権誕生の頃からインターネットや書籍における戦後レジームに関する情報は飛躍的に増大していった。それ以前、私は共産主義の問題に集中していた時期があり、日本の戦後レジームに関しては少し遅れて関心が向くようになった。そこでは今まで言われていたことと正反対の事が多く書かれてあったのである。といっても、それで直ちに根本的な見方が変わるわけではない。やはり、それなりの情報量の多さと時間が必要だった。しかし、ある時それが根本的に変わる決定的瞬間が訪れたのである。

 それはルーズベルトと同世代の共和党議員だったハミルトン・フィッシュが書いた「ルーズベルトの開戦責任」を読んだときである。それまで私は自分の知識内で真珠湾攻撃は避けられないものであったのか。アメリカとの戦争は避けられないものであったのか、ということを考えたことがある。それは具体的にはハル・ノートを受諾できるかどうか、という問題だろう。これは非常に難しいことのように思えたが、戦争は何としても避けたいところである。また、アメリカの石油等の全面禁輸、アメリカの日本資産凍結などは戦争行為に等しい、という事はわかるのだが、現実に武力によって先制攻撃したのは日本であるというのは事実である。

 ハル・ノートにおける日本軍および警察のインドシナ、中国(満州を含む)からの即時全面撤退の要求と言うのは絶対にのめるものではない。そのようなことをしたら残された日本人を見殺しにすることと同じである。現実的には時間をかけた全員の撤退ということになるだろう。このような事をアメリカ側に打診するつもりだったようである。しかし、アメリカ側には (といってもそれはルーズベルト政権の閣僚の中だけの話だったが)さらなる第二ハル・ノートが準備されていたのである。つまり、受諾することが全く不可能に見える最初のハル・ノートをさらに上回る要求がそこに書かれてあるだろう。ところがまだ先がある。そこでさらに日本がその第二ハル・ノートさえも受諾したらどうするべきか-ということが話し合われた。そこで陸軍長官だったヘンリー・スチムソンはこのように言ったという。 「それならもうこちらから戦争を開始しましょう」

 これが私にとっての決定的瞬間だった。まったく個人的な問題であるし、人それぞれ感じ方は違うと思うが、この一言で一気に歴史観や社会観がひっくり返ったように感じられた。大東亜戦争、太平洋戦争とはアメリカ側から一方的に仕掛けられた戦争だったのである。考えてみれば明治維新以降、日本は防戦に次ぐ防戦の連続だった。ところが地政学やその他いろいろな条件によって、そのように見えないところがある。それをうまくプロパガンダに利用されてしまっているのである。日本はアジアをそして世界全体を白人の植民地主義から解放したのに、その日本が侵略者のように扱われるというのは、理不尽と言うものをはるかに通り越している。そして、それを同じ日本人が主張するというのは、絶対に許されるものではないと考えるのである。

 この決定的瞬間について少し説明させてもらうと、このスチムソンの発言は際立って特別だった訳ではない。だから、これは全く個人的な感じ方の問題なのだが、例えていうとそれはこのようなものである。インターネットや書籍の情報によって戦後レジームの理解が進んでいき、それはちょうどオセロゲームとドミノ倒しが合わさったような状態になっていた。オセロゲームの石が戦後レジーム側を黒とし、脱戦後レジーム側を白とすれば、黒がすぐに白にひっくり返るというより、ちょうど立ったような中間の状態になっていて、それがドミノ倒しの石のように配置されていたようなものである。それぞれの石は互いに有機的に関連しあっていて、 1つが倒れると隣が倒れるというような関係になっている。昔、テレビ番組で数万個のドミノを倒していく番組があった。扇状に配置されていると一気に大量のドミノが倒れるのである。このスチムソンの発言はこのドミノ倒しの最初の1枚になった、という感じである。テレビ番組のドミノ倒しは数百秒の時間をかけて倒れていくが、私の脳内に起こったこのドミノ倒しは瞬間的、ほんの1、 2秒で全てのドミノが倒れたという感覚である。この時、私は自分が全く別の人間になってしまったかのような感覚を持った。今までの人生でほとんどない経験だったのである。洗脳が解けた、といえばその通りなのだが、それ以上に膨大な歴史的事象の有機的理解が進んだということである。

 このハミルトン・フィッシュ「ルーズベルトの開戦責任」の原著がアメリカで出版されたのは1976年である。そして日本で翻訳出版されたのは2014年のことである。なんなんだこのタイムラグは、と思わずにはいられない。そして、このような重要な著作をマスメディアはほとんど取り上げることはないのである。これは完全に意図的なものである事は他のところでも述べてきたとおりである。このような情報を知ることで、本当に戦争を回避するための方策は何であったかを知ることができる。ハル・ノートはルーズベルト政権内の極秘のものであり、アメリカ議会もアメリカ国民も全く知らなかったことである。このような重要な事を議会に知らせず行ったことは合衆国憲法違反であると言う学者もいる。 ハミルトン・フィッシュは ルーズベルトに完全に騙されていたと述懐している。日本側とすれば、このようなアメリカ内部の状況を詳しく知り分析することにより、アメリカ議会に働きかけるという手段も考えられただろう。当時の日本のインテリジェンスの状況ではとても期待できないことであるが、まだ戦争回避の可能性はあったかもしれない。このインテリジェンスの弱さは現在でもあまり変わらないように思われる。そして、これらのインテリジェンスの弱体化を推し進めているようなマスメディアは、戦争反対と言いつつ、むしろ戦争を生じさせるような社会状況を狙っているのである。

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この記事へのコメント

ひろびろ
2019年12月22日 08:52
 フィッシュの本の事はあちこちで目にしていましたが未読。判りやすい文章、参考になります。コメントを書こうと思ったのですが長くなりそうなので感想は自分のブログに、明日あたり上げてみます。
 
ヘイジ
2019年12月30日 18:08
forestさん、お疲れ様です。

forestさんのご経験、ほぼ私と重なっています。

私は、約50年前の小学校中学年の時に、ガダルカナルの蛸壺の中で泥に埋まって餓死しているそこらにいるお兄さんのような若い大日本帝国陸軍歩兵の写真を見て涙し「なぜ、こんなむごい戦争を大日本帝国臣民は始めたのか?」という疑問にとりつかれました。

それ以来、大東亜戦争だけでなく様々な戦争を研究し、そのために軍事学だけでなく、政治学・経済学・心理学にまで興味が広がり研究してきました。

今、私はその若い大日本帝国陸軍歩兵を自分の息子のように感じる年齢になりました。

そして、最近になってforestさんを始め様々な方のお考えにも触れて、私なりの答が見つかったように感じています。

私はずっと「日本人は大東亜戦争の真の反省をしていない。」と主張してきました。

forestさんがご指摘されたように、当時の米国はヨーロッパの戦争に参戦しようと焦っており、大日本帝国を追い詰めて手を出させることに集中していました。

また、現在と同じように中国・ソ連は日米が争うように画策しており、「一方的に大日本帝国が悪い。」という主張は間違っています。

日本人は当時の大日本帝国臣民がどのような気持ち・考えであの戦争に突入したのかを、今こそしっかり振り返る必要があると考えています。

その上で、forestさんがご指摘されたように、依然、戦争反対と言いつつ、むしろ戦争を生じさせるような社会状況を狙っている勢力に、私は対抗したいと考えています。
イオンのバベル
2019年12月31日 15:05
ハンドルネームは別の人の名前になっていますが、間違いなく私のブログに対するコメントなのでそのつもりで書いています。

本当にあの戦争はわからないことが沢山ありますね。あれだけ広い範囲に戦線を広げてはとても兵站を維持できない、という事は誰でもわかりそうなことです。東はハワイ、西はインド、セイロン、南はニューギニア、ガダルカナル島らオーストラリアの近くまで、、、戦争をどう終わらせるつもりだったのか。ミッドウェー海戦の結果が逆だったらどうなっていたのか、歴史のifは考えても仕方がないと言いますが。それ以外にも考えなければならない事は山のようにあると思います。

軍隊そのものは強かったが、インテリジェンス、戦略が足らなかったことは明らかですね。中国共産党はその逆だったと言えるでしょう。その反省をしないで、ただ戦争はよくない、戦争は悲惨だ、とだけ言っていればこのような真の反省をむしろ妨害していることになるでしょう。また、それが狙いだともいえます。

コメントありがとうございました。


ヘイジ
2020年01月06日 10:41
たいへん失礼いたしました。

お名前を間違えました。

本当に申し訳ありません。
イオンのバベル
2020年01月06日 21:53
ヘイジさんへ
名前のことは気になさらないでください。
内容からすぐに分かりましたから大丈夫です。