戦争より恐ろしい共産党のテロー大テロルはなぜ起きたのか


(前回の続き)

 前回から引き続き大テロルの検討をしてみたい。これも論文からの転載であり、わかりづらいところもあるかと思うが、雰囲気だけでも感じていただければと思う。これらの考察は非常に複雑なことになってしまうので、わかりやすくスッキリ説明することはとても不可能なのである。私がマルクス主義、共産主義を研究して得られた結論は、共産主義とはこの社会に「ひとつの脳 」を実現することだということである。これは通説では全くなく、私の個人的な結論であるが、例えば北朝鮮の「チュチェ思想」をよく説明してくれるものだと考えている。スターリン体制にしろ、北朝鮮の体制にしろ、目指すところは独裁者の「 ひとつの脳」が支配する世界であり、それ以外の人間は全て神経系、筋肉のような存在に転化させられてしまうということである。この論文ではそれを「イデオロギー超有機体」とよんでいる。これが左翼全体主義の構造をなしている。このイデオロギー超有機体を実現するためにひとつの脳に忠実な神経系、筋肉を作り出すことがテロルの目的である。すなわち独裁者に従わないような神経系があれば、それを排除するということになる。それを生物学の概念を使いアポトーシスと呼んでいる。これに基づいた全体主義論がアポトーシス全体主義論である。

 スターリン主義形成の考察

 ・・・これまでの考察により、権力が絶え間なく一個人へ集中していくメカニズムが論じられてきた。まず、ボリシェヴィキはマルクス主義、共産主義を原理主義的といえるほど信奉し、狂信していたという事実は、その歴史の結果がそのイデオロギーが目指すものとあまりにもかけ離れているという理由によって、えてして軽視されることが多い。パイプスのような歴史家でさえそのような傾向にある。しかし、多くの資料はボリシェヴィキのイデオロギーを共産主義の真摯な実践であると証明しているのである。それは1920年代、レーニンが活躍した時代から、それ以後の党内闘争の激しかった時期も、それがスターリンの権力確立から30年代の社会主義へ突進した農業集団化、超工業化の時代、さらに大テロルの時でさえそれは一貫している。ソ連崩壊後、公開された議事録などの多くの内部資料が示していることは、彼らが大衆に対して述べているイデオロギー的言説と同じことを共産党員に対しても、そして上層部の幹部たちの間でも、お互いに言い合っているということである。大衆に対して述べていることと、仲間内で言っていることの間にはまったく差異はないのである。まさにこれはイデオロギーを大衆操作の口実に利用しているということではなく、自分達もこのイデオロギーの虜になっていることを意味している。

 このことはスターリン主義形成が、ロシアの伝統的な専制体制の復活である、とはいえないことを結論づけるであろう。このイデオロギーとロシアの専制体制はあまりにも異なるものである。つまり、このイデオロギーの実践がロシアの専制体制と共通の要素を持つことになったのは、別のところに理由を求めなければならない。それは今まで問題とされてきた「全体主義論」の課題でもある。アーレントは「全体主義は今までのいかなる専制政治とも異なるものである」といったが、本質的にどこが異なるのかということは極めて難しいアポリアであった。スターリン主義がナチズムと同様な全体主義であるという問題は、両者の本質的な同一性、差異性の問題と関わってくる。さらに、スターリン主義をイデオロギーからの逸脱とみなす「ソ連=国家資本主義論」のように農業集団化、工業化、果ては大テロルまで特殊な資本主義の収奪の一形態にすぎない、というような捉え方は問題外である。「マルクス主義の解剖学」はたとえ何人であろうとも、このイデオロギーの正真正銘の実践においても、その目的とする状態に達しないことを証明したのである。

 すでに明らかなように、社会主義、共産主義イデオロギーを遂行することは、資本主義イデオロギーとは異なり、経済と政治が緊密に一体化する。経済は行政と一体化し、行政は党の独占的支配となり、党は国家と一体化する。党の中心には権力を一手に握る少数者がいて、さらにそのなかの1人の人間に権力は収斂していく。この権力の中心化作用は、このイデオロギーの原理的矛盾から生じたそれまでの権力形成とは根本的に異なるメカニズムによっているのである。最終的にこの原理的矛盾は1人の人間、それはすなわちひとつの脳によってしか止揚出来ないからである。権力が多数者に均等に存在すると、必ずイデオロギーの原理的矛盾から対立する二つ以上の関係が生じてくる。しかし、このイデオロギーの重要なもうひとつの側面、高度な生産力を維持するためには高い階層秩序による経済の統制、運営が不可欠になる。これは一枚岩の統率が取れた党によってしか運営出来ないのである。しかし、このイデオロギーは階級構造そのものを否定するがゆえにそのことを絶対に認められない。絶対的な統制とそれを絶対的に否定する対立関係、まさに究極的な内部破壊が進行することになる。この破壊を防止して、イデオロギー遂行状態を保持し続けるためには、この矛盾を一手に引き受けてすべての権力を握る独裁者が必然的に要請されるのである。

 トロツキーをはじめとする左翼反対派は、遅かれ早かれ駆逐される運命にあった。しかし、トロツキーが最後までスターリンに対する攻撃をやめなかったのは、このイデオロギーを信奉する共産主義者として当然のことであっただろう。スターリンは国外に追放されたかつての革命の英雄を軽視することは決してなかったのである。それはスターリンがロシアの専制体制を復活させる、という目的は微塵もなく、同じくイデオロギーを信奉していたことを物語っている。だからこそ、イデオロギー上の攻撃に対して非常に敏感になったのである。トロツキーの国外で発表される出版物にスターリンは激怒したと言われている。トロツキーの身辺にスパイを送り込み、常に監視を怠らなかった。1937年に出版されたトロツキーの『裏切られた革命』は、フランスでの出版よりも先に、スターリンのデスクの上に全文のコピーが届けられていたという。ヴォルコゴーノフはこれがスターリンに大テロルを決意させた引き金になったのではないか、と推測している。

 このスターリン体制に対する左翼反対派、それ以前には労働者反対派からの批判、攻撃は基本的にはすべて古典的マルクス主義に沿ったものである。そしてこの批判、攻撃は現代においてもその本質はほとんど変わらないと思われる。マルクス主義者、共産主義者、唯物史観支持者は同じような批判を繰り返している。しかし、これこそがこのイデオロギーの原理的矛盾の表出であり、そのことによってこの対立関係は絶え間なく増大し、そして最終的には肉体的抹殺によってけりがつけられるのである。この運動そのものがスターリン主義、スターリン体制を形成していく原動力となる。反対派の存在は、内部敵として体制に潜伏するものと捉えられ、それを殲滅するために超法規的な措置が次々と正当化される。それがこの恐怖政治を最大限に強化していくことになる。体制に逆らうことなど夢にも考えられないような状態になるまでそれは続けられることになるだろう。つまり、マルクス主義に沿った正当な批判はスターリン主義形成の重要な要素のひとつになるのである。それをすればするほどスターリン主義は強化されていくことになる。

 ブハーリンらを中心とした右翼反対派も、当然反対の側面から内部敵とみなされることになる。これはそのまま資本主義を利するもの、日和見主義者として断罪されることになる。ネップを長期に継続するような、富農との提携を重視する政策はもはやイデオロギーに反するものだとみなされたのである。右翼反対派は自分達の誤りを認めさせられ、転向を強いられた。党を絶対のものとみなすボリシェヴィキ共通の心性は、自分達の政策を転向しても党に残る方を選んだのである。しかし、農業集団化、工業化の悲惨な状況が明らかになっていき、党内は緊張の度合いを増していった。スターリンは疑心暗鬼になり、左翼も、右翼も、自分に反対する気配を見せたものも殲滅しなければならない―このように決意するに至ったのである。これは、自分を神のような存在として見る若い党員とは違うレーニン時代からの古参ボリシェヴィキの大部分を含むことになった。彼らはスターリンを指導者として認めても、絶対的な独裁者とみなしてはいなかったのである。

 スターリンの妻の自殺やキーロフ暗殺から緊張が激化していき、スターリンは大量弾圧へとエスカレートしていった。これらのことやその当時の状況から、キーロフ暗殺の首謀者はスターリンではないかという疑念があった。しかし、これは確たる証拠がなく難しい問題のようである。状況的にはスターリンは黒にしか見えないが、ここではその問題には深入りしないことにする。このような偶発事によって歴史は左右されていくように見えるが、ここでは深部で絶え間なく大きな力学が働き続けている。それがイデオロギーの原理的矛盾から来る権力の中心化作用である。これは普通の社会学で想定される権力の問題を大きく超えているのである。これはアポトーシス全体主義論で再度論じられることになる。

 1930年代は宗教、教育、文学、芸術といった文化的側面も大きく変わっていった。教育は帝政時代に比べると広く普及していき、文盲率は低下していった。これは共産党による政策の正の側面であるが、共産党のイデオロギーを教え込むという目的があった。文学や芸術は相対的に自由があった20年代に比べると、イデオロギー上の統制が厳しくなっていった。イデオロギーに反するもの、あるいはその可能性があると検閲されたものは、発表することを禁じられ、作者は職を失うことになった。体制に媚を売る作品が多くなり、文学、芸術はその活力を失っていったのである。このイデオロギーはそれ以前のあらゆるイデオロギーより、その矛盾が大きく原理的なものである。社会、世界の真実を追求するという文学、芸術の本領は当然、圧殺されざるをえない。イデオロギーの矛盾の暴露を許容することは体制にとっての破滅を意味する。至高の指導者であるスターリンの言説が唯一正しいものとみなされ、社会全体でそれが無数に反復されていくことになる。それに反するものは反革命、反ソヴィエトであり破滅が運命づけられるのである。言葉と現実の乖離はますます広がっていき、人々は二重思考の中で生きていくしかなくなったのである。

 しかし、この1930年代は混乱と非効率であったとはいえ、かなりの程度の工業化が達成された。それに伴い以前に比べて物質的な豊かさは上昇し、生活環境の改善が見られた。それは革命後の教育を受けた若い世代を中心に、新しい特権階級が形成されていき物質的な豊かさを享受できるようになったのである。それ以外の一般大衆の生活改善は遅く、特権階級との階級格差は非常に大きなものになっていった。新しい特権階級はスターリンに従順であり、神格化することに積極的であった。この階級は大テロル以降、社会の中心的な階級となり後にノーメンクラツーラと言われるソ連の官僚制を担うことになったのである。

 また、この時代は革命直後の禁欲的な雰囲気から、ブルジョワ的な雰囲気へと変わっていった。スターリン指導部が認めた文化活動、娯楽などが奨励され、大都市を中心に明るい雰囲気がかもしだされるようになっていった。宗教に対する統制は依然として厳しかったが、祝日などはある程度復活することが許された。そのなかで、空前絶後の大テロルが進行するというまさに想像を絶する社会が出現したのである。

 アポトーシス心性とテロルの必然性

 ボリシェヴィキ上層部においては、拷問や脅迫により「自分は外国のスパイであった」、「スターリン暗殺を企てていた」というようなまったく身に覚えのない罪を認めるように強要された。(これはボリシェヴィキ上層部だけではないが)見世物裁判の中で奇想天外な自白がなされ、それに続く処刑によって大量の古参党員が粛清された。そのなかには、ジノヴィエフやカーメネフ、ブハーリン、ルイコフといったレーニンとともにロシア革命を遂行し、社会主義建設にその身をささげてきた最重要の幹部も含まれている。

 これらの幹部とスターリンとの間は、これ以前には決して悪いものではなく、1920年代中頃または終わりまでの間は政治上の仲間であり、また個人的にも親密な関係があった。しかし、左翼反対派との対立、農業集団化に反対した右派との闘争、それに伴う更迭、農業集団化がもたらした大飢饉、非常に速いテンポの工業化とそれに伴う混乱、などから党内は緊張が激化していった。思うように進展しない工業化の原因をスターリンは内部敵の存在に求めた。そして、次第に党内部、幹部たちの中にも内部敵が存在し妨害している、あるいはスターリン体制を批判し、打倒しようとしている、という言説が中央委員会総会などで出されるようになり、そのためのスケープゴートが選ばれ、攻撃されるようになった。1932年頃からは、すでに大テロルにつながる内部敵をでっち上げて吊るし上げる、という党内部の雰囲気は強くなっていったのである。スケープゴートに選ばれたものは、身に覚えがなくても示された通りの罪を認めるということを強要された。それが党に奉仕することであると暗黙の共通認識があり、罪を否定するということはそれ自体、党にたいする裏切りであるとみなされたのである。つまり、真実がどうであるかはまったくどうでもよいことであり、スケープゴートはその役割を演じなければならないのである。(ただし、大テロル以前には肉体的抹殺まではいかず、中央委員や書記からの降格、党から追放というような処分だった。)スケープゴートは自らその役割を進んで買うことはありえなかったが、その役回りがまわってきたときにそれを認めること、その立場を甘受することをよしとする人も大勢いた。大局的に見ればこれは徐々にアポトーシスが作動し始めている、と見ることができるかもしれない。

 スターリンに早い時期から大テロルのマスタープランのようなものはなかった、ということは今では明らかになっている。スターリンは体制、社会がコントロール不能になるのではないかという恐怖からパニック状態になっていたのである。そのために場当たり的な対応が次から次へととられていった。しかし、これも非常に難しい問題であり、1937年初頭にはスターリンは大テロルの青写真を描いていたのかもしれない。この偶発性と計画性は複雑に絡み合って進展していったと考えられる。古参党員にたいする疑心暗鬼は頂点に達しつつあった。これは左翼全体主義の構造から考察すれば、イデオロギー超有機体の形成が完成に向かいつつある、ということを意味している。頂点のひとつの脳になり、それ以外の脳をすべて神経系と同じ存在にしなければならないという要請がスターリンの深層心理に存在している―このように仮定すれば、自分と極めて立場が近い、今は服従しているように見えたとしても、いつ自分は打倒され取って代わられるか分らない―このような古参党員は存在そのものが否定される。

 1937年6月、赤軍の多くの司令官が粛清されたのをかわきりに、大テロルの爆発が始まった。個々の事例に着目すれば、それがとてもアポトーシスという概念が適用されるとは思われないだろう。党員で粛清されたほとんどの人々は、主観的には党のために誠心誠意尽くしてきたと考えていたはずである。上層部に行けば行くほどこの傾向は強かった。彼らはイデオロギーに徹頭徹尾、忠実であろうとしたのである。だから、自分が反党行為の疑義をかけられて逮捕されるなどとは考えられなかったのである。同じような仲間が逮捕されていっても、とても信じられないが何とかそれに理由づけをして正当化しようとした。そして実際、自分が逮捕されると身の証しを立てようとするが、同時にスケープゴートの役割を演じなければならないという暗黙の了解が粛清される側にも、する側にもあった。そして、粛清する側の人間も容易にされる側へと移行してしまうのである。これが体制全体に深く、重く浸透していたアポトーシスの作用だといえるのではないだろうか。イデオロギーに忠実であるがゆえに破滅させられる―この恐るべき逆説が社会を覆い尽くしていたのである。革命初期に活躍していたものほどイデオロギー超有機体の形成に貢献するのと同時に、時間の経過とともに最も存在していてはならないものに転化してしまう―これがイデオロギーの論理そのものの中に最初からプログラムされてあったのである。つまり、大テロルの種子ははるか以前から存在していたのである。

 このスケープゴートの心理は理解しにくいものなので敷衍することにしよう。この社会においてはこのイデオロギーは絶対正しいという前提に立っている。それは資本主義社会よりも高い生産効率、高い生産力を持つことは当然であり、そうでないなどということは絶対にありえない。またそれに伴い階級は消滅していくはずである。そうならないということが起こったとしたら、それは敵の階級―資本主義勢力が内部敵として潜伏し、サボタージュ、妨害しているとしか考えられない。当然、党はその内部敵と階級闘争を行わなくてはならない。一方で農業集団化、超工業化を推進しながら、内部敵と階級闘争を行わないとなれば党は存在意義を失いかねない。ところが現実にはイデオロギーの敵はすでにほとんど駆逐、撲滅させられているのである。そうなれば内部敵を何がなんでも作り上げなければならないのである。そうでなければ、このイデオロギーが絶対に正しいという前提が崩れてしまう。そこで、何らかの理由で選ばれた幹部、党員がスケープゴートとして罪をかぶることになる。スケープゴートの役を演じることが、党に奉仕することになるのである。まったく身に覚えがなくても罪を自白し、処刑されることが党に対する忠誠を尽くしたことになる。党は現実の生産力がイデオロギーの示す通りにならないということの理由が、このような内部敵がいることによってだったのだ、と内外に説明することができるのである。つまりこれは、イデオロギーの敵が存在しない強固なイデオロギー空間の中だからこそ生じたのだといえるだろう。もちろん、これはイデオロギーの外部にいる人間にとってみれば、これ以上驚愕すべきことはない。単にイデオロギーが誤っているからこのような事態になっているにすぎないのである。

 しかし、実際この大テロルはスケープゴートの心理を利用しながら、本当の目的はスターリンの神経系を作り出すことにある。党の上層部、党員、赤軍将校、高級官僚、テクノクラート、あらゆる分野の専門家など中枢神経に相当する部分のテロルは特に激しいものになる。スターリンに忠実でないという僅かな疑義をかけられただけでたちまちテロルの対象になるのである。それは古参ボリシェヴィキや、革命以前からその職に就いていた専門家の大部分を含むことになった。このとき、革命後のボリシェヴィキの教育を受けて育った若い世代が、その後釜に座るようになった。彼らはスターリンを神のような存在とみなすことを自然なこととして育ったのである。革命から20年、この若い世代が育つだけの時間が必要だったのであり、そのとき大テロルが起こったということを―これが、なぜ革命から20年もたって起こったのかということを説明してくれるのである。

 大テロルの原因については、これまで多くの議論がなされてきた。しかし、どれだけ個別の理由を考えても本質には届かないように思われる。歴史事象のさまざまな出来事は当然、関連しているはずであるが、決定的な理由となると非常に難しいのである。例えば、「ナチスの台頭により戦争の危険が迫っていた。そのために内部敵、反ソ分子を粛清しておかなければ、国全体が危険なことになる。そのような可能性のあるものをそのままにしておくわけにはいかなかった」スターリンの側近たちは、あとになってもこのような大テロルの正当化を主張している。たしかに、赤軍の司令官とボリシェヴィキの反対派の幹部が結託して軍事クーデターを起こせば、スターリン指導部は破滅してしまうだろう。しかし、これはソ連という国に危険なのではなく、スターリンとその指導部にとって危険だということである。この大テロルの理由も、その規模のとてつもない大きさとそれが各共和国のあらゆる階層におよんでいるということを説明できるだろうか。スターリンの秘密指令は各共和国、各州ごとにきめ細かく、銃殺する人数、強制収容所送りにする人数を指定しているのである。(例えば、銃殺をA、強制収容所をB、としてアゼルバイジャン共和国―A 1,500、B 3,750・アルメニア共和国―A 500、B 1,000・西シベリア地方―A 5,000、B 12,000・アゾフ、黒海地方―A 5,000、B 8,000・レニングラード州―A 4,000、B 10,000・モスクワ州―A 5,000、B 30,000など)そして、これらの人数は後から何度も追加され、NKVDはそれを超過達成するようになっていった。これはまさに理由のない大量殺人である・・・一般的にはこのように考えられるだろう。

 この一般大衆にたいするテロルも、イデオロギー超有機体の形成によって統一的に説明することができるのである。ただし、一般大衆に対してはアポトーシスの概念は適用されにくい。これは微妙な問題であるが、テロルの対象を反ソ分子として選別する努力はなされている。実際にはこれはほとんど不可能なことであり、建前上そうであっても、ランダムに選ばれたのとそれほど変わりはないだろう。アポトーシスの概念は弱い意味で適用されるか、どうかというところである。一般大衆に対しては、イデオロギー超有機体の形成のためにテロルは恐怖による支配、密告による相互監視、社会の人間関係の横のつながりを断ち切り、頂点のひとつの脳から伸びる神経系の忠実な構成要素になるように強制することである。(ただし、アポトーシスの概念をこのような目的のためのものと拡大解釈すれば、一般大衆に対してもアポトーシスは適用されるだろう)そのために、社会全体にくまなくテロルは行使されなければならない。そして、テロルをいつ終わらせるかという判断も重要である。これが際限なく続けば本当に社会を破滅させてしまうのは明らかである。これはイデオロギー超有機体の形成に必要十分である、というレベルに達したときテロルは終息するのである。つまり、テロルから逃れた人々が、家族や知人、友人、会社や工場、学校、さまざまな組織のなかにテロルに巻き込まれた人がいて、そこから十分に教訓を会得するだろうレベルである。テロル全体の具体的な人数までコントロールすることは不可能であるが、このような大局的な意味においてテロルをコントロールすることは十分可能である。スターリンはこのすべてを総合的に実践したのである。(もちろん、ここでいうテロルの終息とは大テロルの終息という意味であり、規模が小さくなってもテロルは続き、また次の波が来るということを繰り返していく。また、強制収容所の囚人の人数も増え続けたのである)。

 つまり、大テロルの必然性とはイデオロギー超有機体の形成がそれを要請するからである。逆にいえば、それ以外の方法でイデオロギー超有機体の形成が達成されれば大テロルは起きないということになる。それ以外の方法というのは、現実には存在しなかったであろうことは間違いない。例えば、SFで見られるような人間の脳の中にマイクロチップを埋め込んで、すべてを監視し、遠隔操作できるようになれば大テロルは必要ないだろう。これまで検討されてきた大テロルのさまざまな理由は、そのほとんどがこのイデオロギー超有機体の形成の中に包含されるとみてよい。例えば、ナチスの台頭により戦争の危険が迫っている―これが大テロルの理由だとすれば、もしこのようなナチスの危険が存在しなければ、大テロルは起きなかったということになる。しかし、それは誤りである。ナチスの危険とはまったく別にイデオロギー超有機体の形成の要請は存在し続ける。もし、ナチスの危険がなければ大テロルの時期は多少変わったかもしれないが、やはり同じように勃発するだろう。そのときは、また別の理由、口実を探すのである。

 このテロの人間悲劇の部分は、それが家族にあたえた影響であった。敵の烙印を押された父母が消されただけでなく、本書の冒頭で述べたアレクサンドル・チヴェリの場合のように、弾圧された者の親戚までもがしばしば逮捕された。たとえばスターリンやモロトフやその他の政治局員は「人民の敵」の妻子の、あるいはいずれか一方の逮捕リストを、日常茶飯事であるかのように承認していた。いく世代もつづく血の復讐や家族の敵討ちが文化として根づいていたカフカースの出身者であるスターリンにとって、個人同様に血族グループを罰するという考えはおそらく自然だったのであろう。1937年の10月革命20周年記念晩餐会の席上、スターリンは長いあいさつのなかでそのことを口にしている。そのときのスターリンの言葉を、ゲオルギ・ディミートロフは日記につぎのように書き留めている。「したがって社会主義国家の団結を破壊しようとする者、社会主義国家からその民族の特定の一部分を分離しようと望む者はみな敵であり、ソ連の国家と人民の不倶戴天の敵である。そして、われわれはそのような敵を、古参ボリシェヴィクであろうとなかろうと、おかまいなしに絶滅する。その血族、その家族を絶滅する。その行動と思想によって、しかり、その思想によって、社会主義国家の団結を侵そうとするすべての者を絶滅する。すべての敵を一人残らず、かれらとその血族をも、絶滅せよ!」他方、家族の懲罰には、もっと実利的な政治的効用もあった。身内の者に懲罰がおよぶのではないかという恐怖は、裏切りを抑止する効果をもっていた。(アーチ・ゲッティ、オレグ・V・ナウーモフ編著 『ソ連極秘資料集 大粛清への道』  513頁)

 つまり、「社会主義国家の団結を破壊しようとする者」とはスターリンの神経系の役割を担わないすべての者である。それはその行動と思想によって、特にその思想によって、つまりそれは自分独自の考えを持つ者・・・それがいかなるものであれスターリンとは異なる考えを持つ者は絶滅させられるのである。それがどれほど共産主義の大義に合致していても問題ではないのである。そして、モロトフはスターリンの死後、あと少しスターリンが長生きしていたら自分は処刑されていただろう、と語ったという。それでもスターリンにたいする忠誠心はまったく変わりがない、というのである。これはアポトーシス心性の典型的な姿だといえるだろう。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
ナイス

この記事へのコメント

ひろびろ
2020年02月23日 12:14
読み応えのある考察、知らない事ばかり、スターリンの狂気、今更ながら垣間見る事が出来ました。最初にある「一つの脳」理論、それを支える為の構造、全体主義、そして異分子を排除するアポトーシス。それをはじめに提示して貰ったので以降理解しやすく読み進められました。
 文中リンクに飛んでイオンのバベルさんの研究論文の厚みに些かたじろいで、しかし数多の文献なる中からこうして要点まとめて読める事は有り難い事です。中々これだけの考察は普通の人には出来ない。敬服します。とは云え矢張り敷居は高い。今回の共産党のテロというテーマにしぼったように分けて提言して貰えると読み進めやすいなぁと感じました。(理解する能力が追いつかないから)
 前にオーウェルの「1984」の事を云いましたが、実はあの小説を読んであまり楽しくなかった。無理矢理読破はしたものの当然絵空事でしたし、小説の中に出て来る暗喩、比喩、壁掛けテレビとか云う未来のガジェットも含めしっくり来ず如何にも作り事ですといううつろ感を拭えませんでした。
 ところがこれを読んで、現実は、この狂気は絵空事を超越していた。大真面目にソ連のエリートたちは自国民を粛正し迫害ししかもいずれ自身にその歯牙に掛かる事を恐れつ「ひとつの脳」の指令にひれ伏していたって事ですね。
 こういう歴史の分析が出ているのに未だその狂気を掲げ世界に君臨しようとしている国がある。懲りませんね。歴史に学びませんね。
 「ひとつの脳」って要するに観念のお化けでしょ。思考は自由自在に膨らんで様々な可能性を空想する。しかし飛んだ思想と云ったって、人は毎日ごはんを食べてその為に働いて、他人と諍いしたり生活をするという現実を繰り返してているワケで、飛翔して彼方へ行ったつもりが時間になりゃちゃぶ台の前に座ってごはんを食べている。そういう現実的な個の視点が欠けるとフワフワお化けになっちゃう。自分でお化け作って苦しめられている。マルクスさんの理想って、あの人パトロンの世話になってご飯の心配した事無さそうだからそのフワフワが萎まなかったんでしょう。
 遅まきながら宮本輝の「ドナウの旅人」を最近読んで、新聞連載時ソ連の崩壊も東西ドイツの統一もなかった時代背景、ドナウはドイツから数カ国経て東欧ブルガリア、ルーマニア、そして黒海に注ぐと、貧しい共産圏衛星国の国民は共産党政権を憎悪しながら強権のもとでパンを食べワインを飲んでいる。上層部はそれを見ていたとしても観念のお化けを優先し国民の困窮を据え置いてた。その報いはその後来てチャウシエスクは無残に殺された。
 習近平も金正恩もこの末路は意識してるでしょうでも強権は止めない。そうしないと寝首を掻かれる。だけどいずれ終りは来る。ソ連、そして共産圏の壮大な実験の結果は出てるのに止めないのはそのほうが統治に具合が良いからなんでしょうね。矛盾を孕んでるから何時か行き詰まる。と思うんだけれど、現在進行形の歴史を眺める上で貴ブログ参考になります。一番の読後感は、人間て昔も今も変わらないんだなぁと、変われないんですかね。
イオンのバベル
2020年02月23日 18:50

ひろびろさんへ

 長文のコメントありがとうございます。

 ソ連の大テロルの内実と言うのは、ほとんど知られていないでしょうね。本来ならNHKのドキュメンタリー番組などで取り上げなければならない重要な歴史なのですが、意図的に避けていますからね。 「 ひとつの脳」理論は、政治体制から導き出されたものではなく、マルクス経済学の分析から導き出されたものなのです。経済に適用されていたものが、政治にも適用されることになりました。それがこの研究論文なのですが、やはり長文で難解なものなのでとっつきにくいですよね。テーマに絞って提示すればわかりやすい、というひろびろさんの指摘は今後に生かそうと思います。現代日本と関連付けて取り上げるのが重要だと思うのですが、これがなかなか難しいのです。この間の国会で取り上げられた日本共産党は公安監視対象になっている-ということと関係してきますので、共産党のテロを取り上げる事は時宜にかなっているかなと思います。

 私もオーウェルの「 1984」と「動物農場」を読みました。 「動物農場」もソ連をテーマにしていますが、まだユーモアがあって読み進められたのですが、 「1984 」は本当に気が滅入ってきます。ただその頃はソ連の大テロルの文献を読んでいた時期でしたので、現実にかなり近い文学作品だということがわかりました。しかし、「事実は小説よりも奇なり」であり、ソ連の現実はそれよりもはるかに上を行きます。私はこれらの文献を多く読んで行ったとき、本当に精神状態がおかしくなるのではないかという気がしたものです。 オーウェルはかなり若くして亡くなりましたが、この「 1984 」の執筆は寿命を縮めたらしいですね。もっともなことだと納得してしまいました-実に複雑な心境でしたが。

 「 ひとつの脳」というのはご指摘の通り観念のお化けなのですが、マルクスの恐るべき理論は、これを唯物論に基づいた科学のように思い込ませる力があるのです。最初は唯物論に基づいて分析し理論が進んでいくのですが、非常にうまく重要な部分をスルーしているのです。それが次の段階、革命論なのですがここに行くと突然、観念論の世界に飛翔してしまうのです。この瞬間が誰にもわからないので、自分は唯物論に基づいて考えていると思っているのですが、実は観念論の世界に迷い込んでいるというわけです。よくマルクス主義、共産主義は唯物論だからダメなのだ-という批判を耳にします。私がわかったのは、これは実は罠ではないかということです。問題なのは唯物論と観念論を都合に合わせてコロコロ使い分けて、観念論を唯物論だと思い込ませるところにあると考えています。観念論であっても、それが観念論だと十分自覚していれば問題はないのです。それは確かに理想だけれど夢物語だね-とみんなが分かっていれば問題はないのですが、夢物語を科学だと思い込んでいたら恐ろしいことになります。
 
 マルクスとは人類に夢物語を科学だと思い込ませるための巧妙な理論体系を意識的に作り出したのではないか、昔の人の心の内面までわかりませんが、このような恐ろしい事を追求した人間がこの世に存在していた、ということに私は未だに信じられない気持ちなのです。

 北朝鮮や中国の共産主義の問題は、彼らの歴史、本来の民族性がそもそも全体主義的なので、そこに西欧からもたらされた共産主義が合体したのですから、これは史上最悪なことになります。ソ連は酷かったわけですが、共産主義に対してまだ真摯なところがありました。それはソ連が崩壊してから、まぁプーチン体制は昔の専制政治を引きずっているところがありますが、一応曲がりなりにも選挙はありますね。それに対して中国など特亜は、たとえ共産党体制が崩壊して変わったとしても、民主化は非常に難しいことでしょう。中国共産党は本当に共産主義に対してもご都合主義的に利用しているといえますから、その分だけ手強いですね。
ひろびろ
2020年02月25日 08:23
 読後感の最初に思い付いたのはこれ「マトリックス」だなというものでした。人間の脳はつながれて培養液に浸って仮想現実を見ている。よこしまな思想は排除される。と云って実はこの映画まだ見ていません。ネットの意見を拝見して知っているだけです。イオンのバベルさんのコメントへのお返し読んでその感強くなりました。そのうちこの映画を心して観たいと思います。

 この部分、長いブログ本文を理解するのに判りやすい。「ユリイカ!」です。

>「 ひとつの脳」というのはご指摘の通り観念のお化けなのですが、マルクスの恐るべき理論は、これを唯物論に基づいた科学のように思い込ませる力があるのです。最初は唯物論に基づいて分析し理論が進んでいくのですが、非常にうまく重要な部分をスルーしているのです。それが次の段階、革命論なのですがここに行くと突然、観念論の世界に飛翔してしまうのです。この瞬間が誰にもわからないので、自分は唯物論に基づいて考えていると思っているのですが、実は観念論の世界に迷い込んでいるというわけです。よくマルクス主義、共産主義は唯物論だからダメなのだ-という批判を耳にします。私がわかったのは、これは実は罠ではないかということです。問題なのは唯物論と観念論を都合に合わせてコロコロ使い分けて、観念論を唯物論だと思い込ませるところにあると考えています。観念論であっても、それが観念論だと十分自覚していれば問題はないのです。それは確かに理想だけれど夢物語だね-とみんなが分かっていれば問題はないのですが、夢物語を科学だと思い込んでいたら恐ろしいことになります。

 成る程ねぇ。都合よく利用しているし誤魔化してる。そしてこの部分の指摘、


>中国共産党は本当に共産主義に対してもご都合主義的に利用しているといえますから、その分だけ手強いですね。

 そう云う事なんでしょうね。
 中華思想の思い上がり、下手すりゃ世界制覇に届きそうだった。共和党トランプという天敵の出現、武漢ウイルスの蔓延、なんかこれ天の采配。
 
イオンのバベル
2020年02月26日 10:56
ひろびろさんへ

「マトリックス」はテレビで見ました。それほど真剣に見ていたわけではありませんが、まさにこの世界は映画のような仮想現実だという気がします。その極致がスターリン体制のような全体主義国家ですね。

理解するのにわかりやすいと指摘された部分は、自分で言うのもなんですがうまくまとめられたかなと思います。このようなコメントのやり取りだと、自分1人では分からないところもわかるようになってくるので有意義です。

トランプの出現とコロナウイルス、本当に中国の世界制覇の野望に待ったがかかった、という感じです。まさに天の采配ですね。