中国の本質とは何か (第3回)・・・恐るべき闘争世界


(前回の続き)

 中国の歴史というと大体は皇帝とその王朝の歴史を扱っている。それはもちろん重要なことであるのだが、どうしても一般民衆はどのようなものであるのか、ということが今ひとつ分からなかった。それは現代でもそうである。中国共産党による一党独裁により、一般民衆は抑圧され、搾取されている。歴史的に民主主義があった事は1度もないし、現代では専制政治はさらに強まっているとさえいえる。 1989年の天安門における民主化運動を壊滅させた弾圧事件は、30年経った今再び取り上げられているが、それではあの時もし、民主化が進んでいたとしたら中国はどうなっていたのだろうか?このような問題を取り上げるとき、どうしても一般民衆がどのようなものであるのか分からないと考える事はできないだろう。左翼思想の流入により、われわれは知らず知らずのうちに支配し抑圧する側は悪であり、抑圧されている弱い立場の民衆は善であるかのような洗脳がなされてきた。中国の場合も共産党に抑圧されている民衆の側は弱い立場であり、善であるかのような感覚を持ってしまわないだろうか。

 ここでは中国における一般的に本当に信頼しあえる人間関係がどのようなものであるのか-ということに焦点をあて、その人間関係のグループなり組織がどのような性格を持つのか、ということを問題にしていきたい。すなわち親族や宗族、それに準ずる共通利益集団の性格である。今まで一族イズムの性格を検討してきたが、この特異性を端的に表している現象が宗族の伝統となっている「械闘」なのだと石平氏は述べている。械闘とは民間の社会集団が別の社会集団との間で利害の衝突やその他の対立が生じた場合、それを法的手段によって解決するのではなく、武器を用いた武力闘争によって決着をつけることである。械闘はほとんど宗族上で行われているから「宗族械闘」とも呼ばれる。

 その典型的なパターンは、次のようなものである。どこかの宗族と隣接する宗族との間で土地や墓地をめぐる紛争が起きる。あるいは何かの偶発的な事件がきっかけで紛争が起きる。その際に、一族の人々を動員して集団的戦闘態勢を整えた上で、その隣接する宗族の村々を襲ったり、隣接する宗族と殺し合いの合戦を展開したりするのである。

 その際、本来は農民である宗族の戦闘集団が武器として主に使うのは正規の兵器ではなく、日常の農作業に使われる鍬や鋤や鎌や天秤棒などの農業器械である。だから、彼らの行う戦闘行為は「械闘」と呼ばれるのである。

 もちろん農業器械を使った械闘であっても、鍬や鋤や鎌や天秤棒などは使い方によって立派な殺人道具にはなるし、械闘が多発するような地域では、一 部の宗族は本気になって武装化するから、刀剣や鉄砲などの本物の兵器を械闘に用いることもある。その結果、宗族械闘はほとんど例外なく本物の殺し合いとなって多くの死傷者を出すのである。

 時には、戦闘員間の殺し合いだけでなく、戦闘に勝った宗族が相手の宗族の非戦闘員に対する虐殺を行うこともあるから、宗族械闘は残酷なものである。

(石平 著「中国人の善と悪はなぜ逆さまか」98、99頁)

 中国では数千年来にわたり、このような小国家ともいうべき宗族が無数に存在し、一族イズムに基づいて行動している。そして宗族間には紛争が絶えず生じているが、その解決のために国家は役に立たない。その時の王朝が治安を維持しようとしても、それだけの力はなく、また宗族も国の治安維持機構や法律を一切頼らないのである。宗族間で解決のための話し合いが行われることもあるが、それが決裂すると械闘になるのである。しかも、戦時国際法のように宗族間で一定のルールがあるのである。例えば戦闘は宗族で組織された集団の間で行い、個人では行わない。戦闘が終わって怪我人が病院に収容されても、その病院では戦闘は行わない。この械闘は第三者が見物することも可能で、 白いシャツを着て傘を脇の下に挟んでおくと第三者であることの標識となり、襲われることがないというのである。

 宗族間での対立は非常に長期にわたる場合もある。例えば宗族Aと宗族Bは数百年間対立し、しばしば械闘を起こしている。最初の対立の原因が何だったのかはもう忘れ去られてしまっているが、その対立関係だけは残る。そして、ささいなことをきっかけに対立が激化し、話し合いもむなしく開戦になるのである。宗族Aは宗族Bの中心になっている村を襲おうとするが、防備が固くその周辺にある同じ宗族Bの村を急襲し、老人や婦女子を虐殺する。宗族Bはその報復に武器を調達し、あらかじめ官憲に賄賂を渡し見て見ぬふりをするようにしておく。そして宗族Bは宗族Aを襲い数百人を虐殺する。生き残った人はその土地から逃げ、別の場所で生活するのである。数百人規模の死傷者というのはそれほど多いわけではないようであるが、少数の死傷者の械闘というのはかなり頻繁に起こっているようである。そして驚くべきことに、この械闘は現代でも続いているのである。

 その宗族で一旦、械闘を起こすと決められると不参加は許されない。それに参加することは族人の青壮年の当然なる義務になるのである。参加を拒むと宗族全体から非難を浴び、処罰や経済制裁を受けることになる。参加しなければならない年齢制限は宗族によって異なる。大半の族人達は自分達は一体何のために械闘をやらなければならないのかよく分かっていないが、別にわかろうともしない。械闘に参加すると宗族から手当が支給され、その期間中はただで飲み食いすることができる。気分的には一種のお祭り状態である。殺し合いをお祭り気分でするとしたら、日本人の常識的感覚をはるかに超えているだろう。械闘中に死者が出た場合、戦闘終了後にその遺骸は丁重に回収され、盛大なお葬式が執り行われる。戦死者の遺族には見舞金が支払われ、未成人の子弟は宗族によって扶養されることになる。負傷者の医療費は宗族によって負担され、負傷者は仕事に戻れるまで生活費は宗族から支給される。これら財源は宗族内の各家族の共同負担となり、各家族は経済力に応じて分担金を徴収される。分担金を上納することを拒否することは許されないのである。

 日本人の常識からすれば、このような戦闘が起これば当然警察が駆けつける。警察は何をやっているのか、と思われるだろう。ところがこの時、戦った宗族同士が団結して警察の捜査を妨害するのである。つまり、お互いに戦闘など起こっていない、相手からの攻撃で負傷者が出ているわけではない、と警察に主張するのである。特に主導的な役割を果たしたボスや幹部を守る事は重要である。そのため宗族は械闘立案、実行の真相を隠蔽し、ときには幹部の身代わりになって、一般の族人を本人の同意を得て首謀者に仕立て上げるのである。つまり、警察-国家機構を相手にしないというのは宗族全体の共通認識なのである。

 とにかく宗族というのは実に身勝手なエゴイズム集団である。彼らの眼中にあるのは自分たちの宗族の利益だけであって、公共の秩序を守る意識も他の宗族の権利を尊重する意識もさらさらない。彼らにとっては、他所の宗族は単なる強奪の対象であり、潰すべき敵なのである。そして相手から何かを奪うためには血みどろの死闘も辞さない。内輪の中では譲り合いや助け合いを美徳とする宗族が、いったん外に向かうと、狼のような恐ろしい存在となるのである。(石平 著「中国人の善と悪はなぜ逆さまか」103頁)

 よく報道で、アフリカの部族抗争で多数の犠牲者が出て数万人単位の難民が生じたというニュースを聞くことがある。それと同じようなことが中国においては長い間、頻繁に起こっているということである。しかし、マスメディアがこのような報道をしたり、テレビ番組で取り上げたりすることは全くなかったように思われる。もちろん、これは中国共産党に忖度したものであるだろう。

 これまでの考察から、中国にもし民主主義が導入されたらどうなるか、という問題をある程度検討することができるように思われる。アメリカ人は民主主義を導入しようとするとき、その場所に投票箱を持ち込めば簡単にできるように考えていると、批判されることがある。 まさに中国の場合はこれが当てはまるだろう。

 中国に欧米や日本のような議会制民主主義が導入されたと仮定してみよう。ある地区ごとに一定の議員を選挙によって選出する。 例えば議員の定数を10人だとしよう。立候補者をどのように設定するかは大きな問題であるが、中国の場合はさらに特殊な事情が関わってくる。その地区に100の宗族が存在していたとする。それぞれの宗族は自分のところから議員を選出できなければ、選挙など無意味である。いや無意味などころか、対立する他の宗族から議員が選出されれば事態は悪化していく恐れもある。例えば、100の宗族から一人ずつ立候補者を出せたとする。そうなれば単純に考えて 有権者が多い・・・すなわち大規模な宗族から当選することになる。有権者が多いトップ10の宗族が有利になるのである。当選した議員はその地区全体の事よりも、自らの宗族の利益を優先して活動する。これは少数派の宗族が黙って受け入れられる事態ではない。

 さらに、当落線上の宗族では選挙管理委員会の買収合戦が起こるかもしれない 。つまり、賄賂によって票を操作してもらうのである。選挙管理委員は人気の職種になるかもしれない。好きなだけ賄賂がもらえるのである。こうして不正した、不正しないで宗族間の争いがまた勃発して、本当の械闘につながるかもしれない。収拾のつかない事態になるのは目に見えているように思うのである。投票箱を持ち込めば民主主義になるというのは全くの幻想に過ぎないのである。



 中国の本質とは何か (第2回)・・・「一族イズム」


(前回の続き)


 そして、A教授の家族も石平氏のその他の多くの親族も、この汚職を問題に感じる事はなく、喜んでいるのである。そして、これはほとんどの中国人の思考様式を表しているといってもよいのである。当然、これでは社会全体の腐敗がなくなる事はない。中国人が全員、社会の腐敗、汚職を問題視しそれを改善しようとしても、各々の所属する親族だけは別なのである。親族の利益になるためなら、社会から収奪することは正当なことであり善なのである。公の倫理や規範、規則や法律は無視してもよいのであり、むしろ、そうしないことの方が親族の中では悪となるのである。そして、本当に信頼しあえる人間関係というものは、この親族の中において存在するといってよい。この内部においては嘘をついてはならず、騙してはならない。お互いに助け合い、思いやりを持って忠義を尽くさなくてはならないのである。石平氏はこれを「一族イズム」と呼んでいる。

 ここで林語堂(中国の思想家)は、中国人が個人主義の民族であると指摘する。彼の言う中国人の「個人主義」というのは、要するに中国人の個人個人が社会や社会の公益に無関心であるという意味合いである。しかし中国人の「個人主義」は決して、個人の自由や権利を大事にする欧米流の個人主義でもない。中国人は社会や社会の公益に無関心である一方、個人の自由と権利についても無頓着である。結局中国人は、自分たちの家族のことのみに関心を向け、自分たち一族の利益だけを大事にして、そして家族に忠誠を尽くすのである。林語堂はそれをさして、 「肥大した利己心」という。

 つまり中国人の「利己心」は自分自身1人に対する「利己心」であるよりも、まさに家族に対する利己心、家族のための利己心なのである。このような「利己心」の下では、中国人は社会の公益などに対して無関心である一方、自分たち家族や一族の利益だけを大事にする。そうなると、家族や一族の利益のために社会の公益を損なっても構わないと言うのは当然、中国人の行動原理となるのである。

 これに関し、林語堂は文学者らしい表現で次のように指摘している。 「 (中国人の)家族はその友人と共に鉄壁を築き上げ、内に対しては最大限の互恵主義を発揮し、外の世界に対しては冷淡な態度をもって対応しているのである。その結果、家族は堅固な城壁に囲まれた砦となり、外の世界のものはすべて合法的な略奪物の対象となっている」

 林語堂はここでは実は、中国人の独特の家族観の本質的側面を指摘してみせた。中国人は家族の中ではいわば「互恵主義 」を発揮して互いに助け合うのだが、いったん家族という「城壁」から出てしまうと、行動原理も考え方もまったく別なのである。家族以外の社会は中国人にとって助け合いの世界でもなければ、互恵主義の適用される世界でもない。外部の世界、つまり社会は所詮、個々の家族にとっての「略奪物の対象」なのである。

 おそらく世界のどこでも、家族を大事にし、家族間で助け合うというのは普遍的な行動原理であることから、中国人だけがそうであるわけではない。しかし中国人の場合が特別なのは、家族を大事にして家族間で助け合うような精神が、社会全体に拡大していかないことだ。このような精神はあくまでも「城壁に囲まれた砦」としての家族、あるいは一族のみに限定されているものである。そして中国人は、家族の内輪では互いに助け合いながらも、対外的にはむしろ社会を「略奪物の対象」だとみなして、社会に対する略奪をほしいままにするのである。中国社会のこのような独特の家族中心主義は、要するに「一族イズム」そのものである。実はそれこそが林語堂が指摘したところの、中国人の家族観の異質さの所在であり、中国流の家族のあり方の歪みである。(石平 著「中国人の善と悪はなぜ逆さまか」42~44頁)

 この親族集団は、同じ祖先を持つ大きな集団へと発展する場合がある。それが宗族と呼ばれているものである。この宗族こそが一族イズムの源流であり、中国を理解するための核となる、ということである。宗族とは一言で言えば、同じ先祖を共有する父系同族集団のことである。宗族は近代以前の数千年間、中国の基礎社会、特に農村社会に根を下ろして中国社会を形作ってきた。数百年の時を経て形成されてきた宗族は数千人から数万人の大きな組織になる場合もある。その中で宗族の族長が選出され、さらに様々な役職が決められる。宗族の「祭祀」が開催され「族譜」が編纂される。 一族の規律である族規が制定される場合もある。それに反したものは処罰される-司法の役割も持っている。宗族の財産の管理、教育機関の設立と運営、病人や老人、障害者への福祉サービスといったものまで宗族の中で行われる。いわば小国家ともいうべきものなのである。特に教育においては宗族の中から科挙試験合格者を出すことが大きな目標である。

 このような宗族が中国で生まれてきた理由は大きく3つあるという。 1つは財産が子どもに均等に相続される、 2つ目は祖先崇拝の伝統、そして3つ目は国家の頼りなさである。中国という国においては昔から、国家は人民にとって遠いところにあって頼りにならない存在であった。秦の始皇帝以来、中国大陸を統治するのは中央集権制の国家であり、国家権力が及ぶ範囲は県中心の町の中でしかなく、ほとんどの農村部には法の統治も行政サービスもいっさい届かない。それなのに税金だけは取られるのである。人々にとっては宗族は身近にあって頼れる存在であるが、収奪だけをする国家はむしろ、関わりたくないような厄介なものである。人々の精神的帰依と忠誠心の対象は結局、祖先崇拝と血縁で結ばれていて、救済と保護をしてくれる宗族ということになる。国家というものに愛着心や忠誠心を持つものは誰もいない。

 このような宗族中心の社会生活が何百年も続くと、そこから生まれてくる中国人共通の社会意識とはどのようなものになるか。それは、宗族に対しては強い帰属感や忠誠心を持つ一方、宗族の外にある社会と国家、つまり宗族以外の公に対しては全く無関心であり、それを自分たちの生きる宗族とは無関係な世界だと思ってしまうというものであろう。そして、同じ宗族の中では人々の仲間意識、連帯意識が強まる反面、宗族以外の世界をまさに「他所の世界」だと認識し、 「宗族の中」と「宗族以外の世界」に対する人々の道徳意識はやはり別のものとなっていくのである。

 つまり宗族の中では、人々は助け合いの精神を発揮してお互いのことを思いやり、和を保つことで集団の団結を守っていくのだが、宗族以外の外の世界は助け合いや思いやりの対象とはならない。宗族の中で人々は族規にある理念とルールに従って「善良なる族人」となるよう努めるのだが、宗族の世界から一歩でも出てしまうと、その行動原理も道徳観念も全く変わってしまうのである。・・・このようにして、宗族制度の長い歴史の中で、 一族のために公の利益を無視したり、平気で損なったりすることが中国人の伝統的倫理観として形づくられてきたわけである。(石平 著「中国人の善と悪はなぜ逆さまか」93~95頁)

 しかし、これは社会や公に対して全く無関心であり、何ら知識を持たないとは限らないように見える。特に現代においてはそうではないかと思うのだが、このA教授のように深い知識を持ち、社会全体のことを考えられる人もいるわけである。ところが、このA教授の娘夫婦のエピソードのように自分の身内が腐敗に手を染めても、そのことを何ら問題視せず、まるで今までの腐敗問題への取り組みがなかったかのように振る舞うことができるのである。まさにこれは日本人には理解しがたいことではないだろうか。石平氏の感覚は日本人に近いのである。私はこれをある種の二重人格性と考えているのだが、この問題も後でまた取り上げたいと思う。

 中国の腐敗、汚職問題の根本には一族イズムがあり、それは日本人の想像をはるかに超える巨大なスケールなのである。 1つの例として中国共産党元政治局常務委員の周永康が挙げられている。周は1998年に国土資源部長に抜擢されて以来、四川省共産党委員会書記、共産党政治局委員、政治局常務委員、共産党政法委員会書記として中国の司法、警察、情報部門を統括する立場にあった。そして2012年に引退するまでの14年間その掌中の権力を利用し、親族や部下たちとグルになって収賄三昧の日々を送った。 14年に摘発されたとき、周永康とその周辺から差し押さえられた資産は総計で約1兆4,900億円相当である。日本の例を取ってみれば田中角栄のロッキード事件での賄賂は5億円である。周永康から見れば田中角栄の賄賂額ははした金に過ぎないのである。そして、中国の1つの特徴はこのような汚職は妻や子供たちを含めた家族ぐるみのものだということである。

 一族イズムとは親族や宗族の中においてのみ適用されると論じられてきたが、実は社会全体と親族との間に中間的な性質を持つグループやサークルが形成される場合もある。結局、一族イズムの延長であると考えられるのだが、それは汚職などをしている関係者全体が1つの社会集団を形成するような場合である。周永康の場合はその社会集団ともいえるものは300人以上であり、親族以外にも元秘書、元部下、元ボディガードまで含まれている。つまり、汚職という共通の利益目的の集団内では親族に準ずるような信頼関係が結ばれているといえるのだろう。歴史的に見れば、中国の歴史を大きく動かすこともある宗教秘密結社などもこの中に入るのかもしれない。

 こうして私の疑問、完全に万人が万人に対し自分だけを肯定し、他者を無視してしまえばその社会は成り立たない-しかし中国社会は存続し続けている。これは必ずどこかで信頼しあえる人間関係が存在しなければならない-それは何なのか、という問いへの答えを得ることができた。それは一族イズムによって成り立つ親族、宗族、それに準ずる共通利益集団といったものである。


中国の本質とは何か (第1回)・・・私的な考察


 前回までの夢の解釈を発展させて、私なりの中国問題を考えていきたいと思う。とにかく中国に関してはわからないことだらけである。特に2010年の尖閣諸島漁船衝突事件以来、どうしてこのようなことをするのか不可解なことが多すぎる。私のような特に中国に関心のないものにとってみれば、このように感じるのは当然のことであろう。それまで中国問題に関わっている、中国に関心のある人にとってみれば予想できたことなのかもしれない。

 最近知ったことであるが、東洋史で高い評価を受けている岡田英弘という歴史学者は、 1,970年代に日中国交正常化が行われた当時から、中国が尖閣諸島に仕掛けてきているような侵略的行為を、やがて始めるだろうと警告していたそうである。しかし、その当時はこの言葉に耳を傾ける人は誰もいなかったそうである。当然、この人は中国べったりの学界からは敬遠されていて、世界的には高い評価を受けながら日本では孤立していたようである。

 私は30年あまり前、機械設計の仕事をしていて小さな設計事務所に勤めていた。そこで大手の鉄工所からの依頼を受け、機械の図面を描いていた事がある。その中に中国のアスファルトプラントに関する仕事があった。そのプラントの設計は日本とはまるで違う広い土地を使ってのものであり、さすがに日本とは違う土地の広さがあると、それだけで感じたものである。

 日本は第二次大戦後、焼け野原から奇跡の経済復興を遂げた。しかし、中国は文化大革命の混乱の中で、そのような経済発展はできなかったのである。戦勝国と思っていた彼らは敗戦国である日本の高度経済成長を見て仰天した。そんな馬鹿なと思っても、現実は現実である。そこで方針を転換し、改革開放路線をとることにより日本などから科学技術を摂取し、経済発展を目指したのである。そして中国は大きな経済発展を遂げた。その経済発展を遂げたのは日本や欧米のおかげであることは明白である。ところがその経済発展により軍事力を強大化し、その日本に侵略的行為を仕掛けてくるというのは一体どういう神経をしているのだろうか。

 これらのことに関しては、少し前まで徹底した自虐史観が日本に浸透していたことが大きかったと思う。中国がそのような行為に出ても、どうしても日中戦争や南京大虐殺のことを思い浮かべてしまうのである。心のどこかにある後ろめたい気持ちが、中国の横暴に対する反発を弱めてしまっていたのではないだろうか。これは既に心理戦においても劣勢になっているということである。

 さらに、この時の政権が民主党であったということが決定的に重要であった。今では中国、韓国の傀儡政権であったことが明らかになっているが、この時は全くわからなかったのである。気づいている人はいたと思うが、それは実に少数派であっただろう。民主党政権は中国や韓国、北朝鮮に利する政策をどんどん進めていたのである。外国人参政権ももう少しのところで成立してしまうところだった。尖閣諸島での漁船衝突事件の犯人の取り扱いは全く異常だった。その2か月前に国防動員法を発表し、中国は押せ押せムードだったのである。その次の年には東日本大震災が起き、巨大津波と原発事故でまさに日本は危機的状況だった。中国の攻勢は続いていたし、 2012年には韓国大統領が竹島に上陸した。まさに悪夢のようなではなく、悪夢そのものの民主党政権時代だったのである。さらに中国では共産党が密かに大衆を先導して、反日デモ暴動を起こした。それに関する事が前回ブログで取り上げた夢の話である。

 しかし、 2012年はその年の終わりの衆議院議員選挙で民主党政権から自民党政権への復帰が決まり、安倍政権が誕生するという大転換の年になった。民主党政権時代の3年間で、私は猛烈な危機意識が芽生えたが、それは多くの日本人にとって共通のもののように感じられる。これがジャンピングボードとなって、その後の社会の動きを決定付けたのではないだろうか。もうひとつ重要な事は情報が中国、韓国の傀儡であるマスメディアに独占されるのではなく、インターネットの発達により多くの多様な情報が伝達され、そして自らも発信できるようになったことである。情報がマスメディアに独占されたままでは、いくら危機意識を持っていたとしてもどうにもならなかったであろう。

 そのような中で、この頃から中国関連の情報もインターネット上で爆発的に増えたように思う。中国や韓国に対する危機意識が多くの人に共有されるようになってきたということだろう。そして中国関連の書籍も多く出版されるようになっていった。私は中国にそれほど関心があるわけではなく、昔からそのような本を読んでいたわけではないが、 2010年以降に出版された中国関連の書籍はそれ以前のものとは何か性質が違う・・・それは多少の内容の違いではなく、根本的な違いがあるように感じられるのである。

 新しく出版された書籍を読むと全く聞いたこともないような史実が書かれてある。例えば後漢の終わりに黄巾の乱が起こり、三国志で有名な三国時代になったが、この時に人口が10分の1にまで激減したというのである。そして事実上、漢人は絶滅したというのである。 「なんだって! ? 」と思った。そんな話は聞いた記憶がない。このような史実は非常に重要な事柄であるはずだ。自分はたまたま知らないだけなのだろうか-しかし、そのようなことが多く出てくると、このような史実は意図的に隠されてきたのだということがわかってくる。中国のイメージにマイナスになるような史実(あるいは解釈)は極力避けられてきたのである。後漢が終わるのと同時に漢人はほとんど絶滅した、ということになれば中国4000年の歴史も何もあったものではないだろう。つまり、このころから初めて中国の本当の実相がわかる書籍、あるいはインターネット上の情報に触れられるようになってきたのである。これは素人である私がそのように感じているだけかもしれないが、社会の趨勢としては間違いないのではないだろうか。

 私は専門家ではないが、中国の日本に対する姿勢に対し、インターネットの情報や何冊かの書籍を読み、理解しようとした。そのことをまとめて書いていきたいと思う。尖閣問題から、なぜ経済成長にこれほど協力的であり、重要な隣国に対してあのような高圧的で侵略的な態度に出られるのだろうか-この疑問が出発点だったのである。中国の内情は徐々に分かるようになってきた。約束やルールを守らない、盗用やコピーが横行する、そして他者を信用せずその存在を無視するところがある。そして何よりも実質が伴わないのに外観だけは立派なものに見せかけるのである。賄賂社会であり、権謀術数の限りを尽くす。その政府は巨大なマフィアか暴力団である。騙し合いの社会であり、人間関係の真実というものは一体どこにあるのだろうか。

 インターネットの政治ブログのコメントに非常に参考になるものがあった。そのコメントは中国の本質を一言で表すと「自己肯定し、他者の存在を無視する文化」だというものである。そうすると、まさに日本はその正反対であるといえるのではないか。すなわち「自己否定し、他者を尊重する文化」である。この自己肯定と自己否定は単純なものではなく、かなりの注釈が必要である。日本人はよく「自分自身を肯定しなければならない」ということがいわれるが、このように意識しなければならないという事は基本的に自己否定があるからである。それが行き過ぎるために、自己肯定がいわれるのである。今の自分を否定して、より良い方向に向かうにはどうしたらよいか、良くいえばそのような姿勢である。中国人の自己肯定というものは、そのような自己否定の契機が全く存在しないという意味である。だから日本人のように「自分自身を肯定しなければならない」と意識する必要は全くない。それくらい自己肯定的なのである。

 それと同時に他者の存在に無頓着であり、たとえどうなろうが関心を持たない。その他者を利用し、騙して利益を上げる事は当たり前のことであり、そのことに罪悪感を感じることはないのである。例えば、科学技術の知的財産権を尊重しようとする姿勢は全くなく、その情報を盗む事は当たり前のことだとされる。これらの事はまた詳しく考えていきたいが、私が疑問に思った事は、万人が万人に対し自分だけを肯定し、他者を無視してしまえばその社会は成り立たず、崩壊し消滅するのではないか、いうことである。しかし、中国社会(支那大陸の社会)は存続し続けている。これは必ずどこかで信頼しあえる人間関係が存在しなければならない-はずである。ある意味、この本当に信頼しあえる人間関係が中国における社会の実体、本質と言えるのではないだろうか。

 その疑問に答えてくれた本が、石平 著「中国人の善と悪はなぜ逆さまか」である。この本を参考にこの問題を考えていきたい。まず、ネタバレ的なことになるのをお断りしておきたい。それくらい最初から面白いのである。

 石平氏は日本に帰化した元中国人である。中国には多くの親族が住んでいる。その中に父親が学問的業績と名声のある大学教授であり、息子や娘たちもみな良い大学を出て政府機関や大企業に勤めているエリート一家がある。その父親A教授は人文科学が専門であり、石平氏は多くの有益な話を聞くことができた。その中で特に印象に残っているのが、A教授は共産党の腐敗問題に強い関心を持ち、深い憂慮をいつも示している事である。中国歴史上の腐敗問題に詳しく、明王朝崩壊の歴史などを振り返りながら「腐敗の蔓延は結果的に政権の崩壊、天下大乱につながるから、党中央が本腰を入れて厳しく対処しなければ中国は危ない。このままでは共産党が滅び、国が滅ぶのだ」と熱く話すのである。石平氏にとってこのA教授は尊敬すべき親族の1人だったのである。ところが、このA教授に対するイメージが完全に崩れてしまう出来事が起きたのである。

 A教授の娘は政府機関に勤めていて、その夫は名門大学を卒業した税務局の公務員である。その頃、日本にいた石平氏は地元に帰省した時、この娘夫婦が高級マンションに引っ越す事を知った。石平氏はなぜ、そのような高級マンションに引っ越すことができたのか、その理由を知ることになる。その娘夫婦の給料では到底不可能な最高級なマンションだったのである。それは地元きっての民間大企業の経営者が税務局の局長になった夫に近づき、賄賂によって自社の巨額脱税を見逃してもらったのである。その見返りの賄賂がその高級マンションであり、家電家具付きでプレゼントされたのである。

 石平氏は非常に驚いた。普段から腐敗をあれほど厳しく批判しているA教授の娘夫婦が、よりによって正真正銘の腐敗に手を染めたのである。石平氏はその話をしてくれた母親にこのように聞いた。 「A教授は知らないのか。知っていたら怒らないのか」すると母親は不思議そうな表情でこのように言った。 「もちろん知っているよ、親族は皆知っているから。しかしどうしてA教授が怒らないといけないのか。自分の娘さんがあんないいマンションに住むんじゃないの。何に怒るのか」と聞き返してきたのである。そして、そのマンションでのホームパーティーに行った石平氏は、A教授の態度を注意深く見ていた。A教授は上機嫌で、得意満面な表情で手放しで喜んでいたのである。つまり、A教授は普段話している社会全体の腐敗と、自分の親族の腐敗とではまったく別の基準で考えているのである。 いや、考えているというより親族の腐敗は腐敗とは認識していない、といった方がよいだろう。

(次回に続く)

2012年に見た中国に関するある「夢」について(前回の続き)


どこだかわからないが、かなり閉塞した倉庫のような部屋の中にいた。しかし、床の方が外界との隙間が少しある-そのような場所だった。その時外界から津波が迫っていると感じられた。これはかなり危険な状況である。非常に不安になったのはいうまでもない。少したつと床の隙間から津波の水がどんどんと入ってきたので、慌てて部屋の上のほうに逃げる。息を殺して津波の状況を見ていると、心配していたほど上の方には上がってこなかった。やがて、その津波は徐々に引き始め、部屋の中の浸水した場所は元に戻っていった。

すると状況ががらりと変わり、広い広場のような場所にいた。そこは中国だということがはっきりとわかる-それは遠くの方で天安門や紫禁城にあるような大きな宮殿の屋根が見えるからである。 (しかし、そこが天安門広場という訳ではない)その広場には不思議なものがあった。それは小さな家のような輪郭をした板があり、その板に簡単なみすぼらしい農家のような絵が描かれていたのである。それはあくまで絵であり1枚の板に過ぎなかったが、そのようなものがその広場全体に何千枚、何万枚かわからないがものすごい数があり、それは遠くのほうまで満ちていたのである。そして、その絵の板の背後の右側から中国人がひょいと顔だけ出してこちらを見ている。顔だけ出して無表情で何も言わずこちらを見た後、またひょいとその背後に隠れる。するとまたその絵の板の横から顔を出してまた隠れる。それを何度も何度も繰り返すのである。そして、その広場にある何千、何万という絵の板の全てで中国人が同じ動作を繰り返しているのである。そこでこの夢は終り、目が覚めた。

以上は前回取り上げた夢である。前半の津波の夢の部分はすでに解釈してある。夢を見た日の前日まで中国での反日デモ、暴動は最高潮に達していた。夢を見たまさにその日から反日デモ、暴動は沈静化していったのである。では、これから後半部分、広場の夢の解釈を進めてみたい。家の輪郭をした板に描かれた絵であるが、よく夢判断などで自分が何かの絵を描いている-その何かによって心理状態や運勢を判断するということがあるようだ。しかし、それとは少し違った解釈がある。絵や写真もそうなのだが、それ自体に現実でないもの、実体や実質の伴わないもの、あるいは空想や妄想を表していることがある。俗に言う「絵に描いた餅」ということである。自分が何かの絵を描いている時、その対象に対して実体とは違う思い違いや妄想を抱いている-ということである。私はこのような夢を見ることがかなりある-写真である場合も多いのだが、現実との食い違いの注意と云う意味もあるようだ。ところがこの夢の場合、この絵は自分が描いていたり自分の側にあるのではなく、明らかに対象である中国人の側にある。つまり、この夢をそのまま解釈すれば、これは中国人の持っている属性だということになるだろう。

そうなると中国人は実体や実質の伴わない家に住んでいる-という意味になる。もちろん現実にはそのような事はありえない。だから、これは象徴的な意味合いにおいてなのである。すなわち、ある象徴的な意味において、実体や実質の伴わない世界に住んでいる。あるいは実体や実質に対する無視や軽視、またそのようなものに関心や興味がない、ということを表しているのかもしれない。それと同時に、その家の絵をこちらに見せているということは表面を見せかける、外観を取り繕うということも意味しているだろう。その実体のない家の背後から、こちらを顔だけ出してみているというのは、対外的には決してその実体のない家から出る事はなく、せいぜい顔を出してこちらを見ている程度だということである。そしてまたその世界に閉じこもり、また少し顔を出す、その動作を延々と繰り返しているのである。そして大多数の中国人は驚くほど均一にそのようなものである-このような解釈が出てくるのである。また、夢の説明で書き忘れていたことがあるが、絵の家は日本の埴輪の家のように非常に古いというイメージがあった。そのことから、このような中国人の民族的性質は古代から延々と続いている、という解釈もできるだろう。

この夢を見た当時、これほど細かく解釈したわけではないが、大枠ではこのような意味に受け取っていた。この時私は「これはいくらなんでも極端すぎるのではないか」 と考えたのである。これは全く個人的な夢であることだし、この夢に意味があるかどうかということを含めて、この夢の解釈を確定しなければならない必要があるわけでもない。それ以上深く追求することはなかったが、この鮮明で非常に不思議な夢は心に強く残ったのである。中国という国や中国人に対しての見方が、その頃から大きく変化し始めたというのは間違いないところである。その少し前に中国はGDPで日本を追い抜き、世界第二位の経済大国になった。実際これは?がつくところも多いが、北京オリンピックを開催し国威の発揚はどんどん高まっていたのである。そして、軍事力の急激な増大はかなり前から問題視されていた。個人的なことをいえば、身内に芸術の方面で中国や台湾に深く関わっているものがいて、子供の頃からかなり身近だったこともある。個人的に付き合う人間はいなかったが、ある程度の接触はあったのである。この夢の解釈である-大部分の中国人は実体のない世界に住んでいて、外観を取り繕っているだけだ-いくらなんでも、このようには感じられなかったのである。

以上、夢の解釈を進めてきたが、前半と後半の2つの部分は非常に極端な解釈の違いを示している。前半の部分はかなり単純な現象に関わるものであり、それもその日のうちに結果が分かるという特異なものだった。それに比べて後半の夢の解釈はかなり抽象的であり、非常に深く複雑な問題である。とても簡単に解釈の妥当性を言えるようなものではなかった。しかし、この夢を見てからもうすぐ7年になる。この間に社会は変化し続け、また自分の知識や考えも深化してきた。特に直近における米中の激突は、この夢の解釈に大きく関係してきたように感じられたのである。次回以降、この続きとして考察を進めていこうと考えているところである。

2012年に見た中国に関するある「夢」について

今回は今までと少し趣向を変えて、私の個人的な経験を元に話を進めてみたいと思う。それは2012年の9月に見たある夢についての話である。政治、社会系のブログにこのようなことを書くといかにも場違いなように感じられる。それはわかっているのだが、たまにはこのような話題も面白いのではないかと思う。

夢といっても様々なものがあるが、ごく稀に非常に重要な役割を果たすこともある。内容はよく覚えていないのだが、昔読んだ本の中に近代哲学の祖といわれるデカルトが、その基本となるコギトの思想に達するためのきっかけとして、夢の中からインスピレーションを得ている、という話があった。合理主義哲学の代表ともいえるデカルトが、その哲学を生み出すためにきっかけとなったものが非合理ともいえる夢あったというのは、デカルトを支持するものには面白くないらしい。アメリカ現代美術の代表ともいえるジャスパー・ジョーンズはアメリカ国旗の絵で有名であるが、この絵はジャスパー・ジョーンズが制作に行き詰まっていたとき、アメリカ国旗をそのまま描いている夢を見て、それをその通りに制作したものだという。ところがこの絵がブレイクスルーになり、ポップアートやミニマルアートなどアメリカ現代美術の大きな潮流になっていったのである。有名なアンディ・ウォーホルの作品も間接的な影響を受けている。それはたった1つの夢からもたらされたものなのである。私の見た夢はもちろんそのような大それたものではないが、面白い題材になるのではないかという気がする。

心理学の側面からも、夢を題材にし判断するということがよく行われている。私は専門家ではないが、このような深層心理学に興味を持ちフロイトやユングといった心理学者の書いた本を読んだことがある。特にユングは面白く、個人を超えた集団や民族共通の集合無意識が夢の中に現れることもあるのだという。オカルト的だと批判されることもあるが、冷静に見ればかなりの説得力を持っていると感じられた。私の夢もこのユング派の夢の分析に適合しそうなものが時々あると感じられた。今回取り上げる夢はその中の1つである。また、それ以外にも夢の分析に関して勉強したこともあり、それらの成果も駆使している。

夢を見た正確な日にちは覚えていないのだが、おそらく9月の16日前後だと思う。この時何が起こっていたかというと、中国全土で大規模な反日デモが起こり、日本大使館に卵や石を投げつけ、そこで日章旗を燃やしたりしていた。日系スーパーに暴徒が侵入し、ガラスを鉄パイプで破壊して商品を略奪した。パナソニックやトヨタ、日産自動車の工場や販売店が襲撃され徹底的に破壊した後、放火した。ある日本人社長は「これはデモではなくテロだ」と話していた。このようなことが連日ニュースで報道されていたのである。これらの暴動がどうなるのか、日本中が不安になっていたことだろう。その2年前の尖閣諸島漁船衝突事件から中国の異様な敵対的行動は、日本人からすれば全く理解不能なことのように思えたのである。この夢はそのような状況の中で見たものである。それは次のようなものであった。

どこだかわからないが、かなり閉塞した倉庫のような部屋の中にいた。しかし、床の方が外界との隙間が少しある-そのような場所だった。その時外界から津波が迫っていると感じられた。これはかなり危険な状況である。非常に不安になったのはいうまでもない。少したつと床の隙間から津波の水がどんどんと入ってきたので、慌てて部屋の上のほうに逃げる。息を殺して津波の状況を見ていると、心配していたほど上の方には上がってこなかった。やがて、その津波は徐々に引き始め、部屋の中の浸水した場所は元に戻っていった。

すると状況ががらりと変わり、広い広場のような場所にいた。そこは中国だということがはっきりとわかる-それは遠くの方で天安門や紫禁城にあるような大きな宮殿の屋根が見えるからである。 (しかし、そこが天安門広場という訳ではない)その広場には不思議なものがあった。それは小さな家のような輪郭をした板があり、その板に簡単なみすぼらしい農家のような絵が描かれていたのである。それはあくまで絵であり1枚の板に過ぎなかったが、そのようなものがその広場全体に何千枚、何万枚かわからないがものすごい数があり、それは遠くのほうまで満ちていたのである。そして、その絵の板の背後の右側から中国人がひょいと顔だけ出してこちらを見ている。顔だけ出して無表情で何も言わずこちらを見た後、またひょいとその背後に隠れる。するとまたその絵の板の横から顔を出してまた隠れる。それを何度も何度も繰り返すのである。そして、その広場にある何千、何万という絵の板の全てで中国人が同じ動作を繰り返しているのである。そこでこの夢は終り、目が覚めた。

このように訳の分からない実に奇妙な夢である。もちろん、夢といっても前日の記憶を繰り返すだけのあまり意味のないものもあるが、直感的にこの夢は深い意味があるように感じられた。この夢は大きく2つの部分に分かれている。前半の津波の部分と後半の広場の部分である。これをそれぞれに解釈してみたい。前半の津波の部分は単純で比較的解釈が容易なように感じられた。津波の夢というのはユングの夢の解釈では集合無意識が騒いでいる-ということのようだ。私は津波の夢を非常に多く見ていた。合計すると30回以上かもしれない-しかし、これはそれと少し違い内面的な無意識というより、現在の社会的状況に対応しているのではないか、ということである。もちろん、それは大きな問題になっている中国の反日デモ、暴動である。後半部分ははっきりと中国と設定されているので、前半部分もそれに関係していると考えるのが自然である。そうなるとこの津波の夢をそのまま解釈すると、現在の反日デモ、暴動はこれ以上ひどくならず、これから鎮静化していくだろうと予測できるのである。

ニュースを注意深く見ていると、その日から反日デモ、暴動は急速に鎮静化していったのである。もちろん、これは中国共産党の操作によるものであり、治安を守るための警察が多く動員されてきた。つまり、このくらいでよいだろう、ということである。夢の解釈の通りに現実が進行したことから、後半の夢の部分もかなりの意味を持っているのではないか-ということが推測できる。ここで断っておかなければならないが、この夢の解釈を何かの御託宣のように絶対視するという事ではない。これはあくまで参考程度に考えるということである。後半の解釈については次回に取り上げることにしたい。 (次回に続く)

戦後レジームと日弁連弁護士懲戒請求問題


今、日弁連の弁護士に朝鮮人学校補助金支給要求声明などの問題により、大量の懲戒請求がなされるということが起こり、それに対して弁護士の何人かが懲戒請求者に損害賠償を請求し、裁判を起こすという問題が起こっている。テレ朝、日テレ、 NHKはこの問題を取り上げたようである。聞いたことのある人もいるのではないだろうか。余命三年時事日記ブログの中で取り上げられてきたことであるが、このブログをある程度読んできた私に何かしかの説明ができるのではないかと思い、取り上げることにした。といっても、私は司法には全く素人であり、理解できる事は限られており、当然専門的な細部には立ち入ることはできない。また、何んらかの誤解や勘違いもあるかもしれない。このブログ自体も量が膨大であり、とてもすべてを読みこなすことができない。あくまで自分が理解できた範囲のことしか書けないが、これらのことを踏まえて読んでいただければと思う。

弁護士に対する懲戒請求制度というのはこのようなものであるらしい。弁護士の仕事は当然、多種多様なものがある。個人的な民事や刑事事件から広く社会的な問題まで取り扱うことになる。時には国家権力に対峙しなければならない場合もある。そのため弁護士には高度な自治が認められている。ところが弁護士も人間であり完全なものではない。中には法律の専門家であるが故に、法律すれすれの犯罪を犯したり、道徳的に問題な弁護士も存在するだろう。一般人には対抗しようのない問題が生じる時もある。そのような場合に備えて弁護士会に問題の弁護士を懲戒請求できるような制度があるわけである。つまり、あの弁護士はこのような酷いことをしている、この弁護士をクビにしてほしい、と弁護士会に訴えることができるわけだ。弁護士会はその訴えを受け入れれば調査し、しかるべき措置をとる。

弁護士の仕事は多種多様であることから、この懲戒請求が個人であるとばかりは限らない。多くの場合個人的な問題であると思われるが、その弁護士の仕事が社会的に大きな影響を及ぼす、あるいは直接社会全体に関わるような問題を扱っていた場合、いちどに大量な懲戒請求がなされることがあるかもしれない。これはかなり微妙な問題であるらしいが、そのような場合を想定して大量な懲戒請求を処理するシステムができているのだという。以前に2,000名位の大量懲戒請求がなされたことがあり、その場合でも今回のような弁護士から損害賠償を請求されるということは、もちろん起きていない。今、問題になっている大量懲戒請求は約1,000名程度である。ところがテレビの報道などでは、そのような説明をせず、あたかも異常な大量懲戒請求で弁護士が被害を受けたかのような捏造をしているのである。また、その処理に問題があるとすれば、それは弁護士会側の問題であり、懲戒請求者側にある訳ではない。このようにテレビ報道は専門的知識のない視聴者を騙すためのものである。

さらに問題はそれだけに留まらない。テレビでは弁護士が損害賠償を請求し、懲戒請求を取り下げれば和解に応じてあげよう、と持ちかけ、それに応えて和解に応じたものがあたかも自分が無知で騙されて参加したかのような報道がなされている。つまり、弁護士にたしなめられ自分の非を認めたかのような印象を与えている。確かに和解に応じた人は数名程度いたようである。だが、その人がマスメディアの取材に応じてそのようなことを言うとはとても考えられない。つまり、これはなりすまし工作員である可能性が極めて高い。インターネットを通じての参加の呼びかけであるので、そのような工作員が参加することも容易なのである。その識別は他に全く活動の履歴のないことから推測できるのだという。それも1人や2人ではなく、 20人程度はいるらしい。また、損害賠償を請求している弁護士に懲戒請求者の個人情報がダダ漏れしてるという考えられないような個人情報保護違反も生じている。しかも、この個人情報はおそらくNHKなどにも流れていて、その個人情報に基づいてNHKの取材の要請が来ているのである。このように日弁連からNHKなどマスメディアへの犯罪的ネットワークができているといえるだろう。

弁護士が起こした損害賠償訴訟に対して当然、反訴訟がなされその裁判が進行中である。その過程でさらに驚くべきことが起こっているようである。損害賠償をおこした弁護士が裁判の証拠として提出した懲戒請求書がすべて偽造だったというのである。さらにその一目でおかしい懲戒請求書をろくに調べもせず、弁護士側勝訴の判決を裁判官が出しているのだという。こうなるともうこの国はまともな司法が機能していないと考えるしかない。すべての裁判官がおかしいわけではないと思うが、左翼思想に取り憑かれたようなおかしな裁判官が多数存在することは確実である。司法界に激震が走っているとのことであるが、マスメディアがこのことを取り上げる事はないだろう。

朝鮮人学校補助金支給要求声明は明確な日本国憲法89条違反である。誰が考えてもすぐにわかるように、単なる私設の学校である朝鮮人学校に公的な補助金が支給されれば、同様な無数の私設の学校に補助金を出さなければならなくなるだろう。しかし、日弁連は朝鮮人学校以外の学校に補助金を出せとは言っていないだろう。もちろん、問題はさらに深刻なところにある。ほとんどが密入国で入ってきた朝鮮人は私設の学校をつくり、そこで反日教育をしているのである。このようなことが常識で考えられるだろうか。密入国で入った国に生活を支えてもらっているのだから普通ならばその国に感謝し、親日的な教育をするのが常識的な人間のすることである。ところが、故国の独裁者を賛美し、反日的な教育をする。それを許している国のほうも異常だと言える。しかも、朝鮮人は日本の共産党勢力などと共謀し、テロ行為などを行ってきた。昭和天皇の暗殺未遂事件も起こしているのである。さらに最近のことでは日本人拉致にかかわったとして朝鮮人学校の校長が逮捕されている。朝鮮人学校は日本人拉致の中継基地として利用されていたことは確実ではないだろうか。そうなればこれは学校を偽装したテロ施設である。

例えとしてやや極端であるが、このようなことを想像してみたらどうだろうか。 9.11のアメリカ同時多発テロの首謀者はアルカーイダのビンラディンだったが、アルカーイダの組織がアメリカ国内にあり、その子どもたちが通う私設の学校を作ったとする。 (これ自体ありえないことであるが)そのアルカーイダの学校に、アメリカの弁護士全体を束ねる組織があったとして、その弁護士会がアルカーイダの子供にも人権があり教育を受ける権利がある、と主張し連邦政府に補助金を出すよう要求する。このようなことが起こったらどうなるだろうか。怒り狂ったアメリカ国民が弁護士の会館に侵入し、銃を乱射するなどということが起こりかねないだろう。日弁連のしていることはそのようなものである。このような状況に鑑みて、暴力的な方法ではなく正式な法に則って、懲戒請求を起こしたのである。

このようにこの大量懲戒請求は、それまでの大量懲戒請求とは根本的に違う性格を持っている。特定の弁護士ではなく、日弁連全体に向けられたものなのである。それは人数の問題ではない。それよりも多くの人数による懲戒請求もあったのだが、今回のような問題は生じていない。要するに日弁連様に逆らうとはとんでもない-たたきつぶしてやる、ということなのである。このように日弁連は反日左翼の牙城であり、これこそ戦後レジームの中心のひとつなのである。そしてマスメディアは重要な事実を隠蔽し、捻じ曲げて報道しているのである。

平成もあとわずか-元号と西暦の併用を考える


体調不良だったことと家の用事が重なってブログはしばらく休止していた。体調不良といっても、元来、持病を持っているのでいつもの事なのであるが、特に疲れが重なっていたようだ。これからもあまり頻繁に更新できそうもないが、気ままにやっていこうと思っている。

平成もあとわずかで終わりである。元号が変わるということで、また何やら反日勢力が物申しているようだ。 「令和」の令が命令を意味しているとか、西暦と元号を併用するのは面倒だ-西暦のみに絞るべきだ、というような意見が多い。この反日勢力と「元号と西暦の併用」という事を少し考えてみたい。この反日勢力のほとんどが反日左翼あるいは特定外国人勢力である。反日左翼というのはそのほとんどが共産主義、共産主義者といってもよいのである。これは共産党だけでなく、それ以外の多くの隠れ共産主義者がいる。彼らは既存の宗教を否定しているわけであるが、自らが新しい宗教を生み出しているに過ぎないということ考えないか、無視している。

元号は天皇の代替わりによって変わるわけであるが、(江戸時代などはそれ以外の理由によっても変わっていたようであるが)当然、これは神道という日本固有の宗教に深く根ざしている。この日本神道を反日左翼は否定したいわけであるが、暦を西暦のみにするとしたときに、その西暦が宗教性のない中立的なグローバルスタンダードとしての暦だと思っているのだろうか。誰もが知っているように西暦とはイエス・キリストの生誕の年を基準にしている。(実際には少し違っているようであるが)-日本と英語圏では西暦を表記するときに紀元前をBCとしている。紀元前500年はBC 500である。 BCとはBefore Christの略でキリスト以前という意味である。それでは紀元はどう表記されるかというとその反対、After ChristすなわちACになるはずであるが、そうではなくADと表記される。このADというのはラテン語でAnno Dominiの略である。今年はAD 2019ということになる。辞書で調べるとAnno Dominiは「主の年」という意味である。

このことについて昔読んだある本のことを思い出す。Anno Dominiはイエス・キリストによる支配という意味であり、この西暦を使うこと自体において、キリスト教の支配下にあるということを意味するのだという。これはある意味当たり前のことである。暦というのはその特定の文化や民族、国において強く宗教や政治に結びつき、天文学や農耕に活かすという意味で、それぞれ固有のものである。そうなるとある特定の暦をグローバルスタンダードのものとして世界全体の基準に使うということは、恐ろしく不公平なものになることは避けられない。西暦はキリスト教の暦であり、キリスト教という固有の宗教に根ざしている。キリスト教の骨格にあるものは未来に到来する最後の審判である。すなわち西暦とは最後の審判に向かうカウントダウンなのだという。

だから、西暦の区切りの年、特に1,000年紀において最後の審判が来るのではないか、ということがキリスト教徒の間では大問題になったのである。西暦999年では最後の審判が下され、主に選ばれなかったものは永遠に滅ぼされる-この怖れからパニックが起こったのだという。それから1,000年後の西暦1999年に何が起こったかというと、さすがに科学が発達した現在では最後の審判が来るというキリスト教徒の騒ぎは起きなかったが、そのかわり例の大予言騒ぎが起こったのである。これも最後の審判の別の形の現れだともいえるだろう。既存の宗教を否定する共産主義者が西暦のみにするといってもキリスト教に依拠することになり、矛盾したことにならないだろうか。まぁ、そんな事は考えていないだろうし、とりあえず元号を否定したいのだろう。

日本は戦争に負けることにより、それまでの紀元である皇紀が西暦に変えられてしまったが、元号は残されることになった。日本固有の歴史、伝統、文化を表すものとしてこれは極めて重要なものであろう。キリスト教を受け入れなかった日本にしてみれば、西暦のみになるのは考えられないことであったのではないか。たしかに世界的なグローバルスタンダードとしての西暦を使わないことは非現実的なことになっている。しかし、元号を残し併用することは、面倒な面があるにしてもそれ以上に極めて理にかなったことであると思うのである。歴史的に見れば、西洋からの侵略、共産主義からの攻撃という文化的攻防戦が現在でも続いているのである。日本人の9割近くが元号と西暦の併用を支持している、というのは賢明な判断をしていると思う。

反安保と有名人、メディアー3年前と現在

(2016年HPに記載)

 安保法制反対の乱痴気騒ぎは収まってきたが、今回のことでいろいろ面白いことが見えてきた。私個人の興味を引いた部分を書いてみたいと思う。相変わらずメディアは極左から左よりの報道ばかりしているが、その中に登場する有名人たちも、左よりの人間が多い。安保法制支持派が登場しないのは当然であるが、昔はもっと異なった立場の人間が議論を戦わせる、という事があったように思う。最近はますます、左翼ばかりが一方的な論調で書いたり話したりしている。むしろこれは左翼が追い詰められているからだろう。

 その中で、政治の専門家でない有名人たちの発言や行動も紹介されたりする。芸能人が反安保のデモに参加するといったこともその中の一つである。テレビによく出ている有名な脳科学者Mもデモに参加したようである。昔からある程度わかっていたことであるが、東大法学部も出たことのある彼 はご多分にもれず左翼であり、選挙で保守政党などに投票したことは1度もない、とネットで書いていたことを思い出す。

 彼が言うには、東大法学部出の憲法学者が「今回の安保法制は違憲だ」と言っているのを無視するのはとんでもない話だ-ということらしい。これら左翼憲法学者の話を真に受けることの方がとんでもない話なのだが、彼には今の憲法成立までの歴史的状況がわかっているのだろうか。一般的に東大卒はとても優秀なのだから何でもわかっているかのように思われがちである。しかし、極めて近視眼的であり、全体像が見えていないのではないかと思ってしまう。

 風見鶏的な日和見主義者でもある彼は、保守系のネット番組にも登場していたが、今回のことで正体が分かったのだから保守系の人間にとってみれば良いことである。さすがに頭がいいから保守系の番組では、ニュートラルな脳科学の話にもっていくので彼が極左的だとはわからないのである。彼自身は自分の政治的立場と脳科学的立場の関係が矛盾しているなどとは夢にも思っていないだろうが、私からすれば致命的な矛盾を犯しているのである。その政治的立場はマルクス主義に傾倒している-そしてその共産主義社会を成立させる能力は脳科学と完全に矛盾するのである。彼の政治的立場が科学的立場を破壊するのである。

 スピチュアリストEもよくテレビに出ている有名人である。人のオーラが見えるということで性格判断をし、前世、守護霊との関わりを通じて人生案内をする、といったことをよくしている。このような能力、行為に対していろいろな見方があると思うが、私は特にこのような事を否定するつもりはない。そもそも意識自体、科学で説明しきれるものではないのだから、その能力の中に特殊能力がある事はあり得るだろう。スピチュアリストEは特に女性を中心に大きな支持を得ているようである。全国で講演をし、常に数千人規模の会場を埋め尽くすのだという。そのスピチュアリストEがあるテレビ番組で、今回の安保法制に関する意見をちらっと話したところを偶然に見た。彼は安倍首相に批判的であり、今回の法案成立を拙速だと言っていた。そしてなんとあのシールズを支持するような発言をしたのである。一瞬「えっ」と思った-この人は共産主義者なんだろうか・・・それと同時に、全く目立たないがその番組、テレビ局もやはり左寄りのような気がしてきた。

 本来のスピチュアリストとしての仕事は、すべて個人に関するものである。しかし、このように社会的に大きな問題になると、まったくわかっていないのではないか、という気がしてくる。このようなタイプの人に起こりやすい致命的な誤りは、社会的なマクロの問題を個人のレベルに引き下げて同列に論じてしまうことである。これは他の有名人全体に感じることであるが、社会は決して個人の単なる総和ではない-社会、特に国際社会は我々の個人的な関係をはるかに超えた別のレベルに属する側面を持っている。決して個人に適用されることが、そのまま国際社会に適用されるとは限らないのである。

 スピチュアリストEは、講演などでこのようなことを話しているのだろうか。安保法制は日本を戦争に導くものだ、などというような話をしたとすれば、このような問題に疎い女性などはイチコロで洗脳されてしまうだろう。なにしろ彼には絶大な信頼を置いているのだから-スピチュアリストとしての信頼性は、社会問題にもそのまま適用されると思い込んでいるとしたら大変なことである。

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 以上の文章は3年前にホームページに載せたものである。今読み返してみると、当時の認識と今とではかなり隔たったものがあると感じられる。しかし、思い返してみるとそのまた3年前、つまり6年前と3年前との間にも大きな隔たりがあると感じられるのである。 6年前とは安倍政権が誕生して間もない頃である。その政権運営と連動してインターネットと書籍などで猛烈な保守の巻き返しが開始されていたのである。やがて私もインターネットのそれらの情報により、戦後レジームの大きな問題に気づくようになっていった。
 
 上記の文章の内容は、現在からするとまだまだ認識不足だった、ということを痛感させられる。これらマスメディア、それによって造り出されている有名人なるものは、すべて戦後レジームの維持、強化をするために最初から選別されているものなのだ。ここに出てくる脳科学者M、スピチュアリストEも完全な反日左翼であることが明らかになってきた。彼らは分かった上で確信犯的に行動しているのである。脳科学者Mは最近のYouTube動画で、百田尚樹「日本国紀」を題材にしたもので対談相手がこの本をほめていたら、苦虫を噛み潰したような顔をしているのには笑ってしまった。よほど日本が嫌いなようである。スピチュアリストEは同じテレビ番組で、トランプの大統領選勝利を顔を真っ赤にして怒っていたのである。そして、実に汚い方法で安倍政権批判をしていた。実情を知らない人間は簡単に騙されてしまうだろう。
 
 そして、インターネット上にしか出てこない真の保守知識人や言論人というものは、テレビや新聞で一度は出てくることもあるが、それが本当の保守だとわかるともう二度と出てくることはない。マスメディアの世界ではブラックリストとして共有されてしまうようである。例えば河添恵子はyoutube動画で中国のことを実に率直に語っているが、昔、中国通ということでNHKに呼ばれたこともあるのだという。ところが、中国のことを率直に語って欲しい、と言われたのでその通りに話したら、二度と呼ばれることがなくなったのだという。他の民放からも一切声がかからなくなったらしい。マスメディアやそこに登場する有名人なるものは、そのほとんどがはるか以前から確信犯として行動していたのだ。だから、反安保が終わった後は、左翼野党と共謀してモリカケだの、法制局がどうのと際限のない捏造と難癖をかけ続けている。このようなものはこれ以上、存在を許容できるものではないのではないだろうか。

日常生活に食い込む公安監視対象-共産党


日本の戦後レジームの最も重要な問題は共産主義あるいは共産党である事は多くの人の知るところになっている。それは我々の生活の細部に至るまで入り込んでいるのである。教育やマスメディアといったものが既に共産主義の大きな影響下にある。そのような情報だけでなく、医療や食物、衣類などの生活分野もそうである。我が家では生協の宅配を利用していて、これはかなり便利なものである。この生協は共産党とどれくらい関係があるのかわからないのだが、それらしいことを言われたことは1度もない。 ○○生協といってもいろいろなものがあり、共産党との関係は様々であるらしい。もちろん、ほとんどない場合もあるようである。

私はほとんど利用していないのだが、家人は近くの協立病院にお世話になっている。これはもろに共産党であり、おそらく医者や看護師、事務職員のほとんどが共産党員ではないかと思われる。病院内では共産党のポスターが貼られており、入院していると共産党のチラシが配られる。しかし、病院の規模が中程度とちょうど良く、医師や看護師の対応もかなり親切なので評判が良いのである。さらには送迎などのサービスも充実している。地域にはなくてはならない病院の位置を占めているようだ。

ところが背景にあるものは、破防法適用が検討されるような公安監視対象-共産党なのである。近所の人と話をしているときに、協立病院は共産党系の病院であり、共産党は公安の監視対象だ、ということを話したら驚いている。全く知らなかったようだ。このようなことを知らない人が多いのだろうか。共産党とは暴力革命によって資本主義社会を覆し、共産主義社会を築くということを目的とした党である。日本の場合は資本主義社会というより、天皇を中心とした国体を破壊するという意味合いが強い。この暴力革命というのは言葉の綾としてむしろ実態を隠している。暴力というよりも殺戮といった方がよいのである。共産党が権力を握ったところはそれまでにないような残虐な殺戮が繰り返されてきた。共産党が目指すものは殺戮革命による共産主義社会であるが、実際目標にした社会が実現される事はなく、少数の独裁による全体主義国家-今の中国や北朝鮮-かつてのソ連、東欧諸国のように自由のない暗黒の社会になる事は絶対確実なのである。つまり、現代の日本の社会でこのような福祉に貢献しているということも、このような地獄の社会へ導くためのいわば罠なのである。

共産党は暴力革命を放棄した、と言ったとしてもそれは戦略的な意味合いであり、現時点においてはそのように言っていた方が得策だということにすぎない。そもそも、マルクスは共産主義社会に至るために暴力革命は不可避なものであると言っている。暴力革命自体を目的にしているわけではないが、共産主義社会に至るためには9割以上不可避的なものである、というニュアンスでその理論は成り立っているのである。暴力革命いや、殺戮革命を本当に放棄したら、それはもはや共産党ではないのである。

外患誘致罪告発についての私感 3

外患誘致罪告発についての私感

(2016年HPに記載)

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 しかし、保守陣営からも過去に1度も起訴されたことのない外患罪は多くの抵抗を受けることは確実であり、不起訴となるだろう。このような見方も多い。門外漢である私でも、これはかなりの困難が伴うことがわかる。話のスケールが大きすぎて全く距離感がつかめない-多くの都道府県知事は告発されているし(朝鮮人学校補助金支給、外国人生活保護支給-いずれも憲法違反、これらは韓国、北朝鮮という紛争相手国の国内施設、在日への不当な利益供与、最近では朝鮮人学校は北朝鮮拉致の中継地として利用されていたことがわかっている。その授業は完全に反日的なものだ)この朝鮮人学校補助金支給停止に対して反対の声明を出している日弁連の弁護士たち。従軍慰安婦捏造の弁護活動している知識人、弁護士たち。日本人のする正式なデモ活動に対する妨害活動をした県知事、市長、市議会議員、活動家、さらには国会議員までいる。沖縄基地移転反対活動家、さまざまな教科書問題における教育委員会、異常な判決を下した裁判官、それらに関係するマスメディアのほとんど、その他左翼政党の国会議員など膨大な案件が存在する。 (特に民進党は民主党政権時代、韓国民団と結託して外国人参政権を密かに成立させようとしていた。これが成立すると、例えば対馬のような場所に在日朝鮮人を大量移住させて、合法的に日本から独立させた後、韓国に併合するという形で侵略することができる。少なくともそのような可能性があるのである。民進党全体が外患誘致罪の対象になってもおかしくないだろう) 。

 これらが全て起訴された場合、もちろん日本はとんでもない大騒ぎになり、とても通常の生活ができなくなるだろう。当然、日本だけの問題ではないからそれは世界へと波及していく。全く見当のつかない問題である。だから当然、検察は外患誘致罪告発を不受理、不起訴にせざるを得ない、またそのような大きすぎる判断は不可能である、と言われている。検察、弁護士、裁判官の中にも反日、在日勢力が多数浸透していることは確実である。ところが、それで済むということもまたありえない。外患罪適用状況というのは有事であり、非常事態なのである。その非常事態に対応するために外患罪は存在するのだから、その状況を放置すれば国家は存立不可能なとてつもなく危険な状況に進むだろう。もし検察が全く動かなかった場合、その判断はより上位の・・つまり政府の判断に委ねられることになる。最終的には(私の考えでは)自衛隊による司法全体の制圧を政府がするかもしれない。この場合、検察が敵勢力によって間接侵略されてしまった、と考えることができるからだ。自衛隊は武力による直接侵略だけでなく、間接侵略にも対応すると自衛隊法に明記されているのである。このような状況というのはまさに国家非常事態宣言、戒厳令が出されているような状況になるはずである。マスメディアは外患罪の「が」の字も報道することはないから、多くの日本人にとってみれば何が起きているのかわからない-まさに青天の霹靂のような事態が突如として起こるのだ。・・・実際には、法務大臣を通じて政府の意向は反映されるだろうから、以上の事は妄想で終わるかもしれないが、この状況自体は事実なのである。

 外患誘致罪告発は世界の動向と関係してくる。アメリカの大統領選挙で見えてきたことは、 「グローバリズムは共産主義である」とある論者がいったことの証明のように思える。行き過ぎたグローバリズムは国家を破壊し、伝統的文化を破壊し、国際的な権力を醸成させる。グローバリズム至上主義は、この傾向に逆らう者を弾圧する・・すなわち全体主義へと傾斜していくのである。アメリカにおけるヒラリー・クリントン、民主党、ほとんどのマスメディア、金融資本・・・これらはグローバリズム陣営であり、隠れ共産主義と言ってもよい。なればこそ中国共産党と親和性が高いのである。民主党政権なら中国の傍若無人な拡張を止めることはないだろう。いわば同じ穴のムジナである。アメリカ国民はこれに強烈なNOを突きつけたのである。その結果がトランプの勝利につながったのは明白である。このことにより2017年は南シナ海における米中激突が必至になったように思える。日本の戦後レジームからの脱却、その中核をなすであろう外患誘致罪告発にとっても追い風であることは間違いない。奇しくも2017年は1917年のロシア革命から100年に当たる。共産主義との最終決戦の年になるのかもしれない。(以上の事は2016年の情勢であるが、 2019年の現在からすると当然外れている部分も多い。特に南シナ海における軍事衝突までには至らなかった。しかし、米中の対立はあらゆる側面で非常に高まっていることは周知の事実である。アメリカは中国の間接侵略に対して公然たる宣戦布告をした。中国のあまりにもあからさまな間接侵略にさすがの民主党ですら反中に転じたということである。)

 このグローバリズム共産主義は、主要論文『マルクス主義の解剖学』 『スターリン主義の形成』で分析されてきた資本主義を革命によって転覆し、否定する、そのことで直ちに共産主義社会を実現する→全体主義に至る。このことと別の迂回する経路、すなわち資本主義を直ちに否定するのではなく、資本主義を利用し世界全体を経済によって1つにする。そして自分たちはそれを統制する絶対的権力になることにより、それに反するものを徹底的に弾圧し否定する、そのような全体主義が出現するだろう。その否定するものの中に既存の国家全てが含まれるのである。このような勢力を攻撃し、殲滅することは国家存立の絶対条件である。外患誘致罪告発はそのための実践的な第一歩なのである。

6

 最後に「外患罪に聖域はない」ということを考えてみたい。これも全くの素人考えだと思って読んでいただきたい。外患罪は売国奴処罰法であるため、聖域が存在しない、すなわち弁護士、検察官、裁判官も特別な存在ではないのである。これが明文化されているのかどうか私にはわからないのだが、理屈の上では確かにそうである。通常、例えば殺人事件などでは加害者と被害者がいる。弁護士、検事、裁判官は当事者とは違う第三者の立場に立っている。例えば被害者と裁判官が親族である、という可能性も考えられるが、その場合普通その裁判の裁判官にはなれないはずである。ところが外患罪ではその当事者が国家対国家であり、社会全てを包括してしまうので第三者的立場というものが存在しない。もちろん、国際裁判で第三国あるいは国際機関が、ということがあるのだが、これはあくまで主権国家内部での刑法における問題なのである。もう一つ重大な事は、外患罪適用状況というのは有事であるので、その状態が現在進行形だということである。つまり、殺人事件が継続して進行中というのと同じことだ。以上のことから、もし外患誘致罪が明白でありながら、裁判官が無罪を言い渡したとするとその裁判官も同罪だということになってしまうのである。もうこれは裁判といえるものではない・・・これが外患罪裁判において裁判は形骸化される、と言う意味である。その裁判官が紛争相手国のスパイであったら、外患誘致罪の被告人は簡単に無罪になってしまうだろう。それだけで外患誘致罪の意味がなくなり、国家存亡の危機になりかねない。すなわちこのような司法関係者全体もすでに当事者なのである。もちろん政治家も、官僚も、経済人も、教育者も、マスメディア関係者も、もちろんそのような行動をした一般人も全員が当事者なのである。そしてよく考えてみてほしい・・・あなたがこの事を知らなかったのはなぜなのか。もちろん、それは第一にマスメディアが全く発信してこなかったからである。彼らは知らなかったのだろうか。もちろんそんな事はありえない。これはすでに2013年に国会においても議論されていることなのである。本来、外患罪を説明すべき責務を負っているはずのマスメディアが、それを全く怠ってきたということは完全な確信犯であり、すでにそれ自体が外患罪の対象になりうるのである。

外患誘致罪告発についての私感 2


 外患誘致罪告発についての私感

(2016年HPに記載)


2

 このブログの小論『戦後レジームと日本の三重苦』で考察された共産主義と大中華小中華民族主義からの日本の間接侵略が着々と進められているのである。GHQの真の狙い-100年かけて日本を滅ぼす-ことが現実化しつつある。しかし、日本にとって幸運なことがいくつも重なっていることも確かである。白人至上主義として考えられたアメリカの日本に対する対応は戦後70年を経てかなり変わってきたようだ。特に韓国に対する認識が変わってきたことにより、日本への箍が緩まってきている。共産主義への防波堤として日本と韓国を重視してきたアメリカは、韓国のあまりの事大主義、ルール無視、約束不履行などにより韓国を信用しなくなっている。特に中国に対するすり寄りはアメリカの怒りを買っている。韓国の日本を敵国として共同で攻撃して欲しい、との要請は韓国人の正気を疑わせるに充分以上だ。

 この間接侵略の要点は、大多数の日本国民にとって気がつかれないように進行しているところにある。カエルを茹でるのに熱湯の中に入れると驚いて逃げ出すが、水の状態から少しずつ温度を上げていくと気がつかず、気がついたときには体が動かなくなり、茹で上がるという例えがある。日本人はアメリカが戦後、熱湯をかけないことをアメリカは寛大だと評価してきた。これがどれほどの間違いであったかを思い知ることになるのである。アメリカ・・これも一枚岩ではないが、特に民主党と左翼勢力は中国や日本の共産主義者、在日朝鮮人などを利用して日本の弱体化と経済的に繁栄させながら徐々に茹で上げていくという戦略をとったのである。日本人がこれに気がつかないのは、確かに経済的には大きく成功したということもある。これは日本人の特質に由来するものであるが、韓国、中国、在日朝鮮人らに利益を吸い取られていても充分繁栄できているということが気がつかない理由でもあるだろう。実に皮肉なことであるが・・・

 日本にとっての最大の幸運は、何度も述べてきたことだがインターネットの登場である。インターネットによってマスメディアの情報独占が崩れてきたことにより、反日、在日勢力の都合の悪い情報が多くの日本人に知られるようになってきた。そして、日本の保守勢力の多様な結びつき、活動を実現させている。その中のひとつが外患罪告発活動である。これは安倍政権誕生という幸運とも連動して日本再生の強力な推進力になりつつある。

3

 話はかなり横道にそれるが、私は子供の頃から読書好きで、小学生の頃は図書室の本を片っ端から読んだものである。そのほとんどは児童小説、SF、推理小説などであったが、小学校5年生になる時、 「これだけ読んだのだからフィクションはもう卒業だ。これからはノンフィクションで行こう」と思い、それからは科学書や歴史書あるいは思想書などを読んでいた。どこかで「事実は小説よりも奇なり、なんだ」と思ったことが理由だったように記憶している。ところがこの1年余で、想像を絶するほど「事実は小説よりも奇なり」を実感するようになった。あるSFで人間になりすました宇宙人が、普通の社会に入り込み一般人と同じように生活している-ところがある メガネをかけるとその宇宙人が見えるのである。街に出てみると数人に1人はその宇宙人なのである。この地球はその宇宙人によって侵略されようとしている。それもさまざまな宣伝や洗脳という欲望を膨らませるような方法によって社会の内側から侵略してくるのである。そのメガネをかけてテレビを見ると、ニュースキャスターもその宇宙人になっている。そして実際の音声とは違う洗脳の言葉を繰り返している。ヒーローである主人公はその宇宙人と戦うのである。まさかこれが日本の現実だったとは・・・『余命三年時事日記』は、SFホラー小説を読んでいるような気分になってくる本だ。

 そのSFでは、宇宙人は骸骨のような異様な顔をしているのだが、普通の人間に見えるのは街の中に設置されたアンテナから特殊な電波が発信されているからである。主人公はその宇宙人と銃で撃ちあうというような戦いをするわけではない。そのアンテナを破壊するための戦いなのである。最後にそのアンテナは破壊され、その瞬間社会の中にいた多数の宇宙人は、人間からその姿を直接見られるようになった。そのSFはそこで終わっている。この話で示唆的なのは、敵の識別、認識が何よりも重要なのであり、それさえできれば勝負はつくということである。まさにこれが普通の日本人の中に紛れこんでくる反日左翼という人々、あるいは在日、帰化朝鮮人なのであり、その識別と行為全体の正確な認識が最重要なのである。(朝鮮人、韓国人をひとまとめに敵として論じているように思われるかもしれないが、もちろんそうでない人もいる。ただし、それはかなり少数派であることが分かってきた。その少数派についてはここでは扱わないことにする。この問題も非常に深く難しいようだ。)

4

 外患誘致罪告発はこれら勢力に対する攻撃であるわけだが、むしろそれ以上に広く日本国民に識別、認識を促す意味を持っている。現実はSFよりはるかに複雑なものである。実際にはこの攻撃は攻撃→識別、認識→攻撃→識別、認識→攻撃・・・という相互作用によってドミノ式に、あるいはスパイラル式に事態は進行すると予測できる。マスメディアを例にして具体的に検討してみ よう。すでに例示された外患罪案件1.在日の犯罪の通名報道、本名を報道せず日本人の犯罪にすり替えている。2.韓国や中国の戦時動員法を完全にスルー。3.李明博韓国大統領の天皇陛下侮辱発言、日本乗っ取り完了宣言を完全にスルー。4.数々の在日特権-2015年以前は通名を何回でも変えることができた。罪を犯しても国外追放なし等々。その背景である李承晩ラインから竹島問題、1952年に李承晩は日本領であった竹島を勝手に韓国領土とし、大量の日本漁民を拉致した。その身代金の1部として日本政府に在日朝鮮人の特権を認めさせた-このことから在日特権を受けている朝鮮人は広く言えば誘拐犯罪の共犯者である。これらのことをマスメディアは一切説明していない・・・等々、他にも膨大な問題はあるが、これらを具体例として考えてみよう。

 これらの案件だけを見てもすぐにわかるように、一般人が普通に生活しているだけでは決して知り得ないものである。例えば通名報道は殺人事件などの場合、テレビに犯人の顔が映るが、朝鮮人と日本人は多少特徴の違いはあるが、ほとんど見分けがつかない。朝鮮人的な特徴を持った日本人も大勢いるのである。そこに通名・・これは外国人に広く認められているもので、例えばアラビア語圏の人がそのままの名前を書いても、銀行などで読むことができない。そこで普通はカタカナで発音のよく似た日本語に直す、それを通名として使用するのである。ところがこれは漢字を使っても良いのである。そこで在日は日本人の名前と同じような通名にしてそれを使用する。そこでマスメディアが本名と国籍を言わずに通名のみを報道すると、知らない人は日本人としか思えないだろう。これが戦後、延々とまかり通ってきた通名報道なのである。なぜマスメディアがそのようなことをするかというと、他でも論じたように戦後、GHQの保守派の追放、左翼、共産主義者の登用によりマスメディアが左翼に占められてしまったからである。左翼、共産主義者は在日朝鮮人と結託していたから、彼らの有利なように情報を操作したのは当然のことである。以上の経緯は知っている者にとってみれば常識なのだが、知らない人にとってみれば全く存在していない事柄であり、それらの報道された人々が日本人でないとはとても信じられないだろう。外患誘致罪告発という衝撃的な-これもまた一般的には全く知られてないものであるが-事件?を知れば、ことの重大さを多少実感することができる。それに基づいて興味を持ち、この問題に触れていけば、以上のような認識を持つことが可能になってくるのである。

 戦時動員法・・在日中国人、在日韓国人は戦時において全員が軍属となる。これは非常識極まりない1種の恫喝である。マスメディアは中国の観光客が爆買いをして行くところをよく取り上げるが、その時に尖閣諸島で軍事衝突が起きる-あるいは起こす、そして戦時動員法を発令すればその観光客も一瞬にして兵士に早変わりである。当然、国際法で認められた兵士であるわけがないから、完全に便衣兵であり、日本の対テロ部隊や自衛隊はいきなり全員を射殺しても完全に合法である。これも中国-支那の昔からの伝統である皇帝は人民を単なる使い捨ての駒にしか考えていないことの表れだろう。韓国も右に習えという所か。マスメディアは能天気に爆買いを報道するが、戦時動員法のような重大かつ緊急な問題を一切報道していない(一紙以外は)本来の責務を意図的に放棄していると断定してよいだろう。これは中国、韓国という紛争相手国の有利な情報操作であり、外患誘致罪の対象になるのである。これは韓国の天皇陛下侮辱発言、日本乗っ取り完了宣言も同じである。以上のことからもよくわかるように、どんな報道が誤っていたのか、問題なのか、あるいはヤラセがあったとかではなく、そもそも重大な問題を完全にスルーしていることが大問題なのである。このような問題に意識的に取り組まなければ、普通の生活の中では決して知ることができない-日本国民はそのような状況に置かれているのである。外患誘致罪告発はこの状況を根底から揺さぶることができるだろう。

外患誘致罪告発についての私感 1

 
外患誘致罪告発についての私感

(2016年HPに記載)


1

 『余命三年時事日記』プロジェクトチームと関連団体による外患誘致罪告発が、2016年10月末ごろから開始された。私はこれらの問題には門外漢であり、全く一般の素人の立場からしか言うことは出来ないのだが、このサイトで追及してきたことと底流では深くつながっているので、政治的に危急の問題であることからもいろいろと考察してみたい。

 まず外患罪についてなのだが、これは全くなじみのないものである。私もこれを知ったのは2016年-今年になってからのことであり、『余命三年時事日記』は2015年12月に発売され、私は1月にこの本を読むことになった。この刑法が作られたのは明治時代のことであり、戦後もそのまま1部が残されることになった-憲法第9条のように軍事力の行使を完全に否定されたのと違い、これはかろうじて残されることになったようである。ここでブログの1部を 転載し、外患罪を説明してみたい。

 転載開始


 ....以下は参考資料である。
 外患罪には外患誘致罪、外患援助罪、外患予備罪・外患陰謀罪がある。いずれも「本罪の保護法益は国家の対外的存立である」とされ、他国の攻撃に対し、日本が国としての存立の維持を保護する法として規定されている。
 外患誘致罪
 (81条)外国と通謀して日本国に対して武力を行使させることを内容とする。
 外国とは、以下このブログでは対象国が中国、韓国と特定されているため中韓と表示する。
 通謀とは、文字通り意思の連絡を生ずることをいう。
 内容としては、中韓政府に働きかけ武力行使することを勧奨したり、中韓政府が日本国に対して武力を行使しようとすることを知って、当該武力行使に有利となる情報を提供する行為をいうと解説されるが、知る知らないは問題とならない。また、有利な情報提供と中韓に不利な情報の隠蔽は表裏一体であり、中国の戦時動員法制定の報道スルーはこれにあたる。また韓国李明博大統領の天皇侮辱発言隠蔽もこれにあたるだろう。武力の行使とは軍事力を用い日本国の安全を侵害することを言うが、国際法上の戦争までを意味しない。具体的には、中韓政府が、侵略の意思をもって、公然と日本国領土に軍隊を進入、占領、砲撃・ミサイル攻撃等を加えることをいうが、韓国はすでに竹島を武力占領している。
 この外患誘致罪の着手時期は、武力行使の目的をもって通謀行為を開始したとき、又は、継続的な連絡行為後、中韓政府が武力行使の意思を生じた時とある。また、既遂は、中韓が武力を行使したときに成立するとあるが、韓国については、すでに竹島武力占領で告発要件を満たしているのである。例をみれば、ほとんどが中韓がらみ。よって尖閣衝突を待ってまとめて面倒を見ようということか。朝日新聞を例にあげれば、慰安婦問題は立件できても南京問題はということは避けようということであろう。安倍の意志か公安の意志かはわからない。この外患誘致罪の法定刑は死刑のみ(絶対的法定刑)であり、現行刑法上、最も重い罪とされている。(刑法87条)本罪の未遂は罰する。とあることから未遂であっても死刑となる場合がある。但し、未遂の場合は法定減軽・酌量減軽の余地はあるという。
 このような法を実は、国民のほとんどが知らない。それもそのはず、この法の着手、告発は有事をもってするわけで、武力紛争や戦争がなければ用がない。よって過去、一度も適用されたことはない。ところが、ここ数年内外事情が大きく変化する中で、適用要件を満たす露骨な典型的事例が数多く見られるようになってきた。しかも、韓国の米離れ、中国すり寄りが顕在してきて、中韓同時の処理が現実に可能となってきたのだ。中国の尖閣武力侵攻、衝突となれば売国奴の処理は一気にかたがつく。安倍はもうしばらく待つだろう。この有罪、即、死刑という外患誘致罪と同等、あるいは準じる法として破壊活動防止法がある。外患誘致の教唆をなし、又はこれらの罪を実行させる目的をもってその罪のせん動をなした者は、7年以下の懲役又は禁錮に処される(破壊活動防止法38条1項)。この場合に教唆された者が教唆に係る犯罪を実行するに至ったときは、刑法総則に定める教唆の規定の適用は排除されず双方の刑を比較して重い刑をもって処断される(破壊活動防止法41条)。例示の10件のうちいくつかは、この法か、次の援助罪の適用となると思われる。
 外患援助罪
 外患誘致罪の保護法益と同様に、外患援助罪は日本の国家としての存立を貶め、危うくする行為から日本を守ることを法益とする。
本罪の行為は日本国に対して中韓から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えることである(刑法82条)。軍務に服することとは、中韓政府の組織する軍隊に参加することであり、戦闘への参加の有無、役割(兵站、諜報、医療等)に関わらない。また軍事上の利益を与えることとは、軍務に服さず協力することであり、その態様は、中韓軍に協力し軍事行動を行う、兵站・諜報活動等の後方支援、占領地域において占領政策への協力等全ての形態を含むということだが、これこそまさに先述した例示の利敵、反日、反国家的売国行為があてはまる。また、援助罪の法定刑は死刑又は無期若しくは2年以上の懲役である。援助罪は、場合によっては政治犯ないし確信犯であることもあるが、態様として売国犯、破廉恥犯であるため、内乱罪と異なり、法定刑として禁錮ではなく懲役が定められている。本罪の未遂は罰する(刑法87条)。
 外患援助の教唆をなし、又はこれらの罪を実行させる目的をもってその罪のせん動をなした者も、外患誘致の教唆の場合と同様に7年以下の懲役又は禁錮に処される(破壊活動防止法38条1項)。この場合に教唆された者が教唆に係る犯罪を実行するに至ったときは、刑法総則に定める教唆の規定の適用は排除されず、双方の刑を比較して重い刑をもって処断される点も同様である(破壊活動防止法41条)。
 外患予備罪・外患陰謀罪
 罪質の重大性に鑑み、予備・陰謀をした者も1年以上10年以下の懲役に処せられる(刑法88条)。なお、記述中の刑法条文部分については一部Wikipediaからの引用である。
 総じて言えることは、例示の組織や個人に、自分たちの行為が日本人と、日本国家に対する犯罪を断罪する外患罪にあたる重大犯罪であるとの認識がないということだ。まさかとは思うが、外患罪の存在すら知らないのではないかと疑いたくなる。適用事例がないということと平和ボケのなせるわざであろうか。以下、外患罪適用に際し、例示の問題点を括弧内に指摘しておく。
 例1.Wikipediaで通名報道につきNHK、朝日新聞、毎日新聞は他紙と違い、特異の報道をしているという指摘。在日本名を隠蔽し、通名のみを報道。(敵国人の犯罪を隠蔽し、日本人の犯罪にすり替えようとする悪質、反日、反国家行為)
 例2.フジテレビ。スポーツ中継にて、日本国歌をカット、韓国国歌を流す。日本優勝式典をカット。呼称を日韓でなく、韓日とする。(日本の国旗、国歌を貶め、本来あるべき呼称をあえて侮辱する反日、反国家行為)
 例3.韓国李明博大統領、天皇陛下侮蔑謝罪要求発言に関し、全TV捏造か隠蔽報道。
(日本の国家元首天皇陛下を侮辱かつ謝罪要求に関して捏造、隠蔽は重大な反日行為)
 例4.中国戦時動員法制定に関し、緊急かつ重大ニュースにもかかわらず一紙以外は全く報道せず。(敵国の宣戦布告ともいえるような戦争準備法を報道せず。明白な利敵行為)
 例5.朝日新聞の、捏造された南京虐殺報道、慰安婦報道。(現、日中、日韓関係を悪化させた主要因ともいえる捏造報道犯。反日、反国家犯罪の典型例)
 例6.異様な毎日新聞反安倍キャンペーン。(仮想敵国の最大の敵を貶める利敵行為)
 例7.偏向靖国報道。(論評は不要であろう)
 例8.河野談話。村山談話。鳩山の反日行動。管の北朝鮮金銭問題。前原外国人献金問題。
 (この連中のしてきたことを許せる日本人はいないであろう。外患罪確定事犯)
 例9.民主党の韓国民団丸抱え選挙。米グレンデール市における慰安婦像設置に見られるような、外国人特定地域集積による危険きわまりない外国人参政権を推進する公明党、共産党、民主党、社民党、そして元民主党の議員の売国行為。(あげた政党の全国会議員が少なくとも外患援助罪に該当する可能性がある)
 例10.マスメディアの報道しない在日特権の数々。(日本人との差別、反日、反国家行為)

 転載終わり
 
 外患罪と特定アジア3国(中国、韓国、北朝鮮)と反日左翼、在日朝鮮人、韓国人さらには反日活動する帰化朝鮮人の問題は複雑多岐にわたり、到底ここで論じきれるようなものではない。興味を持たれた方は『余命三年時事日記』『余命三年時事日記ハンドブック』 『余命三年時事日記2』 『余命三年時事日記外患誘致罪』などの書籍(いずれも青林堂)を参照していただきたい。

 なお、転載文の時期からさらに状況は変わり、2016年8月に中国は多数の漁船と公船によって尖閣諸島の領海を侵犯したが、公船は武装していることが明らかになっている。さらに北朝鮮は日本の排他的経済水域に弾道ミサイルを打ち込み、核実験を成功させている。これらのことにより中国、北朝鮮とも外患罪要件を満たしたとみなされている。

WiFi環境の変更とhuawei問題

WiFi環境の変更とhuawei問題

我が家のWiFi環境が変わり、しばらくごたごたしていた。今までauのwimax 2+を使っていたのだが、どうも電波の入りが悪かった。完全にエリア内なのだが建物の関係なのか室内は圏外である。ベランダにモバイルルーターを出してギリギリ電波が入るといった具合である。固定回線を繋げば良いのではないかと言われそうだが、契約時にはauになかったのである。それで騙し騙し使ってきたのだが、 2年契約が終わるので色々調べてみた。 2年前にはなかったいろいろなサービスがあるのにはびっくりした。その中でプラチナバンドの4GLTE回線を使ったものがあり、 1カ月 50 GBまで使えるのだという。 auは今まで7 GBまでで、とても足りなかった。これには飛びついてしまいますな。契約してモバイルルーターが届けられた。使ってみると予想以上に調子がいい。やはり、スピードがどうのこうのというより電波が入らないと話になりませんな。スマートフォンと同じ回線を使っているので当然といえば当然なのだが、実際に使ってみるまで心配だった。

それともう一つ引っかかっていたのが、 auのモバイルルーターが問題になっている例のhuawei製だということである。契約時にNECのルーターがいいといったのだが、 auにはhuawei製しかないと言う。はぁ、と思ったのだがどうしようもない。品質も心配していたのだが、そのころからすでにスパイウェアなどがプリインストールされているといった噂が囁かれていた。そうしたら2018年にアメリカが大々的にhuaweiを攻撃し始めた。これはアメリカの中国共産党に対する対立姿勢の1局面でしかないのだが、かなり重要な部分だといえるだろう。なにしろサーバーなどに情報を盗むためのスパイチップを取り付けていたのだから、誰でも頭に来るだろう。当然、スマートフォンなどにも取り付けてあるかもしれないし、そうでなくてもソフトウェアに仕組まれているかもしれない。モバイルルーターはそれよりは安全かもしれないが、やはり気持ち悪いものである。アメリカがこれだけ騒いでいるのに、日本の反応は鈍いといわざるを得ない。まぁ予測したことではあるが、特にマスメディアはほとんどスルー状態のようである。

ところでhuawei製モバイルルーターの品質なのだが、予想を裏切ってすこぶる良いのには驚いている。全く故障しなかった。室外に長時間置いておくことがしばしばあった。夏は炎天下に置かれているし、冬の氷点下になるような環境にも置いてあったのである。これだけ酷使したらもう壊れるのではないかと思っていたのだが、 2年間全くトラブルは発生しなかった。スマートフォンの売り上げも性能に比べて安いということで非常に人気があるようである。私は絶対買う気にはならないのだが、気にしない人は気にしないのだろう。私はソニーファンなのでxperia 1択である。ちなみに新しいモバイルルーターは、日本メーカー製なので一安心である。

このことに関しては、このように考えている。-つまり、 「下心があるときはしっかりしたものを作れる」ということではないだろうか。しっかりしたものを作れる、といっても中国のこれらのメーカーは外国から高額の報酬で技術者やデザイナーを雇っているという。それを潤沢な資金と政府の後ろ盾でやるのだから、日本のメーカーなどはなかなか太刀打ちできないだろう。その製品をダンピング価格に近い安さで輸出すれば売れるのは当然である。そしてその情報機器で違法に情報を収集したり、さらに外国の情報システムそのもの構成してしまえば、どのようなことも可能になるだろう。情報システムが麻痺すれば、国家機能は麻痺してしまう。つまり、戦闘機やミサイルを使わない軍事攻撃が可能なのである。中国共産党の世界侵略の要となるのが、このような情報インフラなのであり、 huawei製品を使ってみることでその一端を垣間見た気がした。そしてその危険性をたいして訴えかけない日本のマスメディアは、中国共産党の傀儡であり、戦後レジームそのものなのである。

カエルの楽園と余命三年時事日記

 
 カエルの楽園と余命三年時事日記

(2016年HPに記載)


 『カエルの楽園』が依然として売れているようである。Amazonランキングでも総合1桁台に入っていることが多い。それにしてもマスメディアの徹底した無視は見事なものである。百田尚樹といえば『永遠の0 』 『海賊とよばれた男』などがベストセラーになり、マスメディアはあれほど騒いでいたのに・・・ 『カエルの楽園』のサイン会が兵庫で開かれたとき、サイン会を中止しないと爆破するという脅迫があったが、警察の大掛かりな警備の中でサイン会は実施された。この大きな事件は産経新聞など2、3紙に小さく報道されただけでそれ以外は全く報道されなかったという。 NHKは取材に来ていたのに、地方局でも全く報道しなかったのである。これは超異常なことだ-朝日新聞などは別の作家の同種の事件は大々的に報道し、言論弾圧に屈するなというキャンペーンをしていたのである。

 それ以前から『カエルの楽園』は新聞、テレビなどでは全く取り上げられることがなかったので、その延長であると考えられるだろう。それでもこの本が売れ続けているということは何を意味するのだろうか。明らかにマスメディアという媒体を通さずに、この本の情報が拡散し続けていることを意味するだろう。口コミもあるだろうが、この本の内容を共通のものとする人が周りにどれだけいるかは難しいところだ。ちなみに私の周りにはほとんどいない。やはり、これはインターネットの力が大きいのである。例えば、6月15日に鹿児島県沖の領海を中国の軍艦が領海侵犯したが、その途端に『カエルの楽園』のAmazonランキングが20位くらいから5位前後に跳ね上がっている。この両者が関係しているかどうかはわからないが面白い問題になるだろう。

 もし、インターネットがなければ本の内容の伝達は、口コミや出版社の出す広報などに限定され、また書店でたまたま手に取って立ち読みする、ということに限られるだろう。中国軍艦の領海侵犯と『カエルの楽園』の内容を結びつけるのがインターネットなのである。インターネットだと著者自身の言葉や読んだ人のレビューが自由に見られるので、その内容の概観をかなり知ることができる。寓話でありながら現在の日本の状況を反映しているという内容が、中国軍艦の領海侵犯とリンクして購買意欲をそそるのだろう-と推測するのだが、果たしてどうだろうか。

 『カエルの楽園』と同じく、ベストセラーになりながらマスメディアに全く無視されている-というより一言一句たりとも触れてはならない、とほとんどのマスメディアの厳命がくだっているだろう本がある。昨年末に出版され、今年に入って続編が2冊刊行された『余命三年時事日記』である。

 これは2011年頃から、プロジェクトチームとしてブログによる反日、在日勢力の情報を拡散してきたものが、リーダーが何人か入れ替わり、紆余曲折を経てその内容をまとめたものが出版されたのである。私はブログの存在を知らなかったのだが、2015年末Amazonで偶然レビューを見て購読した。特に在日問題はそれまでインターネットの動画などで多少の知識はあったものの、この本の内容には正直驚愕した。まさかここまでひどい状態になっているとは思わなかったのである。これは小論『戦後レジームと日本の三重苦』 『自虐史観と共産主義』を書く段階で、勉強してきたことのさらに裏側が具体的に詳細に書かれ分析されていたのである。その情報量と分析力は驚くべきものであり、極めて納得のいくものであった。もちろん、全てが100%確実というわけではないが、基本的にその分析は正確だろうと思われる。

 この本を読んで最も感じた事は、戦後70年、GHQの作り上げた戦後レジームはその基本的な性格を全く変えることなく、絶え間なく増大、強化されてきたということである。民主党政権はその終着点ともいうべきものだったのである。最も率直に簡単に言えば、それは日本を属国化し、2000年以上続いてきた国体を解体させ、滅ぼすことである。その日本解体は外国人参政権など具体的な法制度の変更をともなっているが、マスメディアは極力取り上げないようにする。それらは国民の目から隠されたところでひそかに実行されるのである。マスメディアそのものが完全に日本の敵であり、ほとんどの日本国民は目と耳を奪われた状態になっている。2012年の衆議院選挙による自民党与党復帰、安倍政権成立で、かろうじてこの破滅的状況から免れることができたということである。しかし、それからも反日左翼と在日朝鮮人、韓国人との戦いは様々な分野で続いていくのである。

 その戦いの強力な武器を、実は日本は持っているということをこの本で初めて知った。日本にはスパイ防止法がないため、反日の様々な活動を取り締まることが難しい。スパイ防止法の成立は絶対しなければならないことである。しかし、現時点においてスパイ防止法なき日本の切り札がある、というのである。それは「外患罪」である。スパイ防止法は平時において有効であるが、外患罪は平時では適用されず、有事のみに適用されるものである。そのためあまり取り上げられることがなかったが、韓国の竹島の武力占領は有事としての条件を満たしており、対韓国における「外患罪」はすでに適用可能な状況になっているというのである。さらに、中国の尖閣諸島領有権主張と度重なる領海侵犯は、対中国との有事の条件を満たしつつある。対中国においても「外患罪」は適用可能になる可能性が高まっている。

 「外患罪」の詳細は『余命三年時事日記』やネット検索などで調べていただければと思う。このプロジェクトチームの活動は、それ以外にも官邸メールや保守勢力の訴訟、あるいは外患罪告発という未知の次元に踏み込んでいて、単なる言論活動にとどまらない日本再生の動きになっている。

 このようにマスメディアとはかけ離れた次元で巨大な流れが形作られていくのを目の当たりにすることは、戦後70年の日本にとって初めてのことであり、戦後レジーム脱却が加速されていくことが期待できるだろう。

偏向報道、記事についての雑感

 偏向報道、記事についての雑感

(2016年HPに記載)

 最近のマスメディアの偏向報道や様々な偏向記事について、以前よりもさらに気になるようになってきた。これはマスメディアの偏向報道の度合いがひどくなってきたのか、自分がその裏側を理解できるようになってきてそのように感じるようになったのか、よくわからない。おそらくその両方なのだろう。特にインターネットによって報道の裏側や、全く報道されない重要な問題がよく知られるようになってきた。日本全体でそのような理解は加速度的に進行しているように思える。これらはインターネットなくしては全く不可能なことであり、もしかしたらインターネットの恩恵を受けた最大の国は日本なのかもしれない。

 特に私はメディアの専門家でもないし、ごく一般的な関わりしかない。購読しているのは読売新聞のみであり、それも隅から隅へくまなく読むような事はほとんどない。テレビの報道番組も気の向いたものをたまに見る程度である。それでもインターネットの動画サイトなどから得られる情報との隔たりは極めて大きいものがある。マスメディアにおいてはGHQのプレスコードが未だに生き続けているのがよくわかる。これでまともな議論ができるはずがない。言うまでもないことだが、このようなマスメディアは反日勢力に牛耳られており、プレスコードはこれら勢力に都合よく利用されているのである。まともな議論をさせないこと、まともな議論の方向に意識を向けさせないことが目的なのだから当然のことである。

 まともな議論の方向に意識を向けさせない-この最大の実例ともいえるものが終戦70周年である2015年に起こったと考えている。ここ数年間に大東亜戦争に関する多くの新しい資料を基にした書籍や訳書が出版された。これはアメリカ側からの新しい資料の公開もあったようである。また、以前なら注目されない埋もれた事実、書籍も注目されるようになった。それに関するインターネット上の議論も多くなされてきた。それはここ数年とみに高まってきたことである。この重要な書籍がマスメディアにどのように扱われていたのか-このことを少し取り上げてみたい。

 大手の新聞は週に1回程度まとまった書籍を有識者が選んで書評するコーナーがある。読売新聞は日曜日に3面を使って、十数冊の書籍が紹介される。私はここ数年、この書評欄を注意して見てきた。その内容ではなく、どのような書籍が選ばれているか注目していたのである。2015年を通じて、上記の大東亜戦争、太平洋戦争に関する新しい重要な書籍は、この書評欄でただの1冊も紹介されることはなかったのである。もちろん、これは私が注意して見てきた2、3年前から、今年にかけても全く同様である。といって、昔にはよくあった自虐史観に基づいたような書籍も紹介されることはない-出版自体が少なくなったのだろう-つまり、これだけ終戦70年と騒いでおきながら、それに関する書籍はまるで存在しないかのような扱いなのである。当然、それ以外の終戦70年に関する記事も、以前からなされていた一般的な体験記などがほとんどである。これで大手新聞の体をなしているといえるのだろうか。読売新聞は保守寄りだといわれているが、それは朝日、毎日に比べてのことで本質的に左翼新聞であることに変わりがないように思う。

 朝日、毎日新聞は案の定というべきか-ネットで調べたところこのような大東亜戦争、太平洋戦争に関する書籍の書評は全くない。安保法制反対の本はあっても、戦後レジームを脅かすような情報は徹底的に遮断するという意図がありありと見えるのである。さすがに産経新聞は最も保守寄りであり、書評として何冊か取り上げてあった。それでも、もっと多く取り上げてもいいのではないかというのが正直なところである。新しい情報は虚偽の上に成り立つ戦後レジームとそれを既得権にしているマスメディアにとってまさに脅威なのである。

 偏向報道の例をあげれば枚挙に暇がないが、最近では安保法制反対派と賛成派の取り上げられた時間が極度に偏向している、といったことがあるだろう。テレビの報道番組で出てくるのは反対派の有識者の意見や、一般の反対意見ばかりである。政府から放送法遵守の要請が出るのも当たり前の話である。それに対して言論弾圧だの政治権力の圧力だの言うのは全くのお門違いである。このような偏向に加えて、さらに重大な問題がある。保守系インターネットの世界では周知の事実であるが、在日朝鮮人や反日左翼、難民問題などを風刺した『そうだ難民しよう!はすみとしこの世界』という本がある。これはこのブログの小論『戦後レジームと日本の三重苦』の内容と共通するところが多くある。

 この著者のFacebook投稿に「いいね」を押した人の個人情報がインターネット上に晒されるという事件が起こった。この個人情報には非公開のものも含まれていたという。この犯人はすぐに特定され、反日左翼のグループに属する者で、なんとエフセキュアというインターネットセキュリティ会社の役員なのだという。つまり、自分の気に食わない人間の個人情報を仕事上のスキルを使って晒したのである。しかも、このインターネットセキュリティ会社はマイナンバーや防衛省のセキュリティ管理にも関わっているのだという。まったくとんでもない話で、これでは自分の家の鍵を泥棒に預けているようなものである。さらに、この本の出版に関して様々な妨害があったらしい。書店や出版協会に対して「出版するな。どうしても書店に置く場合は目立たないところに置け」というような文書が送られた。そして、この妨害をしたものの中に民主党(現、立憲民主党)議員、有田芳生が含まれていたのである。国会議員がこのような妨害行為をするというのは信じがたいことである。ところが、これらの問題はマスメディアでは一切報道されていないのである。

 もし、自民党の国会議員が同じような妨害行為を左翼系の出版に対して行ったとしたら、マスメディアは鬼の首を取ったような大騒ぎをすることは絶対確実である。「これはとんでもない言論弾圧だ。このような政権を許してはならない」というように騒ぐだろう。これは偏向報道などといったレベルの問題ではない。特定のイデオロギー勢力に対する一方的な加担であり、そのイデオロギーに都合の良い情報は大きく報道するが、都合の悪いものは徹底的に無視するということである。そのイデオロギーは反日左翼の共産主義であり、マスメディアはそのイデオロギーのプロパガンダ機関そのものである。

 しかし、これは今まで戦後レジームの中で常態的に行われてきたことであろう。このような出版妨害は報道されることなく、闇から闇へ葬られたであろう。しかし、インターネットの発達によってそれは不可能になってきたのである。その裏側の情報は即座にインターネットユーザーに共有されるようになってきた。真実を知り得た日本人はそれに基づいて行動するであろう。マスメディアの優位性は大きく揺らいできたのである。

自虐史観と共産主義 2


 自虐史観と共産主義 

 -反日左翼の深層心理-


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 しかし、反日左翼は共産主義-マルクス主義、唯物史観信者と断定できるものなのだろうか、という疑問が生ずる。これは実に難しい問題である。共産党員のように表立った活動をしていれば、これは非常にわかりやすい。しかしわかりにくいのは、最近ますます明らかになってきた社会の上層部に大量に存在するであろう隠れ共産主義者である。政界、官界、教育界、学会、法曹界、マスコミなどの領域に多くの隠れ共産主義者が存在するのである。これらの人々がどれくらい共産主義に意識的であるのかさえよくわからない。その中にはかなり無意識的な共産主義者もいるだろう。それ以外の人々にその影響は計り知れないほどを及ぼされている。無意識的な影響の連鎖となると、ある保守の論客が言ったように「思想ウィルス」として伝染していく、と捉えるのが良いのかもしれない。

 反日左翼が必ずしも共産主義とは限らない例を考える事はできる。例えばキリスト教や独自の強い宗教性を持った団体の構成員などである。これら宗教性の強い左翼は、額面上は唯物論を掲げている共産主義とは相容れないはずだが、その共通した反日の目的から、共同戦線を張ることもある。アナーキズムも考えられるところであるが、日本においてはほとんど力を持たず、マルクス主義、共産主義が圧倒的に優勢である。これは共産主義と目的は同じなのであるが、あまりにもダイレクトに目的にアプローチするので、現実的な手段に結びつかないという理由が大きいだろう。

 反日左翼を構成する主要部分は共産主義である。ここではこの結論に従って考察を進めていこう。実際、反日左翼の活動は保守や一般的常識人からすれば、単なる破壊活動でありアナーキズムのようにしか見えないことがある。そこから彼らはアナーキストであるという見解も散見されるのである。しかし、私はそのような事は決してない、と考えている。そこには単なる破壊活動ではない「論理」が存在するのである。



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 自虐史観の推進は、GHQの洗脳統治を日本人が受け入れてきた、という事を起点としているが、それだけではなく共産主義者-反日左翼の勢力が大きく拡大されたことが要因になっている。これもまたGHQ内部の隠れ共産主義者が日本の共産主義勢力を拡大させたわけだが、この時共産党員だけでなく、様々な領域の変更が行われている。それは表面上、目立たない形で行われているのである。つまり、GHQの隠れ共産主義の形態が日本においても拡大されていったと考えることができる。ここで大きな疑問は、なぜ共産主義は表立った活動だけでなく、このような隠れた形で存在し、広まっていくことができるのかということである。共産主義社会への道筋はマルクスの言うように経済が基本となる。経済形態は物質的な形態であり、それは誰の目から見ても明らかな変化となって現れるだろう。それは決して隠れて実行できるものではないのである。

 その疑問に対しては、これはあくまでその段階においては「思想」として広まっていったのだ、という答えが返ってくるだろう。ところが、その「思想」の内容からすれば、資本主義社会は資本家と労働者の階級対立が激化していき、最終的に労働者の革命が起こり、資本家を駆逐し、資本主義社会の上部構造を覆し、共産主義社会に至る-その結果、国家はおのずと死滅していく、ということなのだから、これはあくまで「思想」としてのみ存在するはずである。これを実行する主体はあくまで労働者なのだから、資本主義社会の上部構造に属する人々は決してその思想を実行する主体とはなり得ないはずである。行動できるとしたら、それはその思想を伝播する、広めていくといったことだろう。もちろん、このような事は行われてきたわけだが、これら資本主義社会の上部構造に属する人々 、すなわち政界、官界、教育界、学会、法曹界、マスコミなどは、決してそれだけに留まらない-自分たちが共産主義革命を実行している主体だと思っていないだろうか。

 レーニンがそうであったように、労働者は本当は革命を実行する主体にはなり得ない-このように思っているし、またそのように言う人もいる。それはマルクス・レーニン主義となり、さらにフランクフルト学派などに代表されるような、上部構造から変革していくという方向性は広く浸透していったのである。



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 上部構造から共産主義革命を実行するというのは、どのような形態を意味するのだろうか。もっとも単純で明快な説明は次のようになるのではないだろうか。唯物史観の定義によれば、共産主義社会は労働者のみがすべてを司る社会である。その社会においては労働者を抑圧する上部構造は消滅している。もし、上部構造自らがその状態を目指すとすれば、自らを消滅させること-破壊させることになる。さらにいえばこれは上部構造の自爆である。このように上部構造の上部構造による上部構造に対する完全なテロリズムが上部構造による共産主義革命である。このように理解すれば、これは様々な巧妙な逆説的論理や情報操作などを用いて、長期間にわたって上部構造を徐々に衰滅させていくようなことも革命なのである。それは労働者が行うような単純な暴力的革命である必要は全くない。

 つまり、それは共産主義革命-共産主義社会に向かうということに建設的な要素は全く存在しないので、それが共産主義の実行であるという事を表面化させ、明示する必要は全くないのである。そこに独自の建設的要素があれば、共産主義に向かうものだということが誰の目にも分かるようになる。その状態は隠れ共産主義が可能になる状態ではないのである。 上部構造は非常に複雑で、微妙なバランスの上に成り立っているので、それを少しずつ崩壊させていくことは、その能力のある人間にとってみれば比較的たやすいのである。そこには非常に専門性の高い知識や能力が要請されており、一般的になかなかわかりにくい。これが上部構造における隠れ共産主義を可能にしている理由であり、それは個人の内面に関わる問題であるがゆえに、それを他者が把握することは非常に困難なのである。

 自虐史観やそれと関連する日本国憲法の問題などは、まさにこのような本質的側面を持っている。長い歴史を持つ日本の伝統、文化を貶め、軽視し、新しい革命的状況を継続する様な憲法になっているといわれている。憲法問題には私は詳しくないので、ここで論じることはできないが、憲法学者自体が隠れ共産主義者、自虐史観に染まった人間である可能性は極めて高く、根本的に信用できるものでない事は心しておかなくてはならないだろう。そもそも彼らは日本を良くしようなどとは露ほども思っていないのである。日本とは全く関係のない、夢のような世界が開けるとでも思っているのだろうか。憲法改正は当然のように行わなくてはならないが、その内容とそれを支える背後の思想的状況、歴史認識を国民の多くが共有することが極めて重要である。しかし、それはまた気の遠くなるくらい困難なことである。

 多くの国民にとって、このような問題よりも日常生活の方が大事なのであり、専門家の言っていることを鵜呑みにしやすい。専門家の言っていることをいちいち疑う事は、多くの心理的ストレスを伴う。憲法改正は日本を戦争に導くものだ、というような幼稚園レベルの戯言を専門家がもっともらしい説明で行えば納得してしまうのである。今の日本国憲法自体がGHQの隠れ共産主義者に強制されたものであり、そもそも根本的に問題外の代物なのである。このような事を全く考慮せず、この憲法を金科玉条のごとく見なすような憲法学者、学者はまさに隠れ共産主義者であり、反日左翼の最たるものなのである。しかし、戦後70年に及ぶ自虐史観の刷り込みと、またアメリカの庇護の下で東西冷戦時代を経済成長に集中できたということ-それによって奇跡的な経済復興を成し遂げ、豊かに安定した生活ができるようになったということが、日本人を戦後レジームに対して保守的にし、憲法改正の問題を先送りにしてきたといえるだろう。しかし、世界情勢の変化はそれを許さなくなってきている、という事は確かに言えるのである。

 憲法問題に関しては、憲法改正という革新的姿勢が日本の保守的状況を守ることにつながる-もちろん、その方向に憲法改正がなされなければ意味をなさない。共産主義にもっと有利になるような憲法改正もあり得るのである。しかし、反日左翼が憲法改正を必死に止めようとするのは、今の憲法が共産主義に向かう内容を持っている証拠である。憲法改正のプロセスの中でこれが明らかになることを恐れるのである。アメリカのなすことを何でも反対する日本共産党が、アメリカの押し付けた今の日本国憲法を必死に守ろうとする噴飯ものの矛盾も、思想と歴史の大きなパースペクティブの中でしか理解できないのである。

自虐史観と共産主義 1

 自虐史観と共産主義 

 -反日左翼の深層心理-



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 日本の戦後レジームの中心となる問題、 「自虐史観」については多くのところで語られ、議論されてきた。なぜ日本は70年以上も経ったのに、戦後に行われたGHQの洗脳に呪縛されているのか-このことが問題にされてきたのである。それには様々な要因が考えられるだろう。日本がこれほど外国に支配された事は、有史以来一度もなかった。全く経験のない占領統治を受けることになった国民は、戦争の過酷な状況の中で疲弊しており、なすがままになるしかなかった。また、アメリカは侵略し、植民地支配をすることにかけてはプロだったのである。日本を占領統治する準備と研究は早くから開始されていた。

 その中で共産主義との関係が近年、きわめて重要視されるようになってきた。それはGHQ内部に隠れ共産主義者、ソ連のスパイが潜り込んでいて、GHQの実質的な占領政策は共産主義の影響を強く受けていたのである。このことと独立に日本には大東亜戦争以前から共産主義が流入し、左翼知識人を中心にかなりの支持を得ていた。また共産党も非合法化され、弾圧を受けながら活動を続けていたのである。つまり日本には、GHQの隠れた共産主義者が非常に活動しやすい条件が既に整っていたのである。

 ここでアメリカと日本の内部にある二つの勢力が互いにパラレルになっていて、戦争の終結とともに強い相互作用をしたと考えることができる。つまり、アメリカ内部の保守勢力と社会主義、共産主義勢力、日本内部の保守勢力と社会主義、共産主義勢力である。アメリカは日本の保守勢力を弱体化し、二度と立ち上がれないように解体させようとしたが、アメリカの隠れ共産主義勢力がその機に乗じて日本の共産主義勢力を大きく拡張させてしまったことにすぐには気づかなかった。アメリカ自身も共産主義に相当程度、侵食されていたのである。



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 日本はGHQの洗脳統治、WGIPによって徹底的に自虐史観を植え付けられてきた。しかし、これほどまでに長い間、国全体が自虐的になることに違和感を持たないだろうか。一般的にそれはかなり考えにくいように思われる。世界史的に見渡しても、戦争に負けた国は無数に存在し、そのたびに抑圧的な政策を押し付けられてきただろう。それでも被抑圧民族、国民が心の底から自虐的になることはほとんどない。その政策を受け入れざるを得なかったとしても、心の中では抵抗しているはずである。日本の状況はかなり例外的だといえるかもしれない。それは日本人の民族性とも関係しているだろう。

 しかし、自虐的であり続ける事は強いストレスであり、精神的な破綻をきたしかねない。事実、心理カウンセラーがうつ病の原因を探っていくと、WGIPに行き着くことがあるのだという。日本には外国人勢力がかなり流入しており、その民族性から日本に対して攻撃的になる場合がある。いわゆる反日在日朝鮮人である。彼らは通名を使って日本人になりすまし、自虐史観の継続、強化を進めている。これは日本人としてのアイデンティティーを持っていないので、自虐史観はむしろ歓迎するものなのである。その是非は別として、これは理解できるところである。ところが、日本人でありながら、自虐史観を積極的に維持し、強化していき、それが自己にとってマイナスの作用を及ぼさない。精神的な破綻をきたすどころか、かえってそれが強化される-このような人間が存在するのである。それがすなわち「反日左翼」と呼ばれている人たちである。

 しかし、左翼であることが自国に対して敵対的であるのは全く自明のことではない。他の国では左翼であっても愛国心を持ち、自国に誇りを持っている。デモの風景を比較するとそれがよくわかる。日本の場合は保守系のデモは日の丸が多く掲げられてあるが、左翼のデモは国旗が1本もない。それに対して他国では保守、左翼とも自国の国旗は掲げられてある。左翼であることが自国に対して敵対的であり、その弱体化や解体、最終的には破壊を目指すのは日本の特徴ではないだろうか。

 この反日左翼がなぜ存在するのかという疑問を考察するのがこの小論の目的である。すでに論じられた「戦後レジームと日本の三重苦」と重複するところもあるが、反日左翼の問題に絞り込み、理解することの難しい(一般常識からはそのようにみなされていると思うが・・・ )その心理を追求してみたい。



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 まず、私見では日本と日本以外の左翼の違いは、その民族的、歴史的、地理的な要因から根本的なものがあるように思われる。日本以外では、社会での階級差が大きく、抑圧者と被抑圧者の対立が鋭くなる傾向がある。これはもちろん相対的なものだが、日本ではこの傾向は緩やかなものである。これは古来の天皇を中心とした家族的な国家形成が、西洋でいうところの共産制的な社会を生み出してきた。現在、我々があまりそのように感じないのは、まさにGHQの歴史歪曲に他ならない。天皇を尊敬するような歴史記述をしてはならない、という歴史教科書への圧力があったのである。また日教組を始めとする教育界は、反日左翼に牛耳られており、天皇、皇室が不要なものであるかのごとく扱われている。 (この日教組もGHQが作ったものである)大東亜戦争(太平洋戦争)以前の社会を意図的に暗く、悪く教える事が常態化している。例えば江戸時代の身分制度も、いわれているほど厳しいものではなかったようである。

 つまり、日本以外の西洋などでは、その階級差から来る不平等を是正しようという動きが強く生じる。そこからマルクス主義などの共産主義思想が生まれてきたのである。その前提となる社会状況が、西洋と日本ではすでに異なっている。これはどういうことかというと、西洋が社会主義、共産主義思想などでめざした社会状況は日本ではある程度達成されており、日本における保守とはすでにこの達成された状況を守ることなのである。これが戦後、保守政党である自民党が西洋における社会民主主義的な政策を実行できた理由ではないだろうか。

 そうなると、左翼が社会民主主義的なレベルで止まってしまうと、左翼としての存在意義を見出せないことになるだろう。その存在意義を得るためには、さらに先に進まなければならない。それは当然、唯物史観における共産主義社会である。さらに徹底した無階級社会を目指すことこそ、日本における左翼の存在意義である。

 そこには左翼が常套手段として用いる歪曲や偏向が保守的状況に対して用いられるが、戦後のGHQ統治はまさにこの左翼の要請と完全に一致しているのである。自虐史観が日本国民に徹底的に刷り込まれると、その状況を維持し、強化していく方向こそ共産主義社会に至る道筋である。つまり、このいったんもたらされた状況を逆方向に向ける事は、左翼の存立そのものを完全に否定することにつながる。日本の伝統、保守的状況を徹底的に攻撃し続けなければ、自己充足性の高い日本の社会に革命的状況など絶対に到来する事はない。これが共産党のみならず、旧社会党においても決して社会民主主義的勢力が力を持ち得なかった理由である。

 このことも教育界やマスコミが全く言ってこなかったことであるが、日本は世界最古の歴史を持っている。その国家形成は、1人の絶対的な王や皇帝などによる武力による統一ではなく、もっと自然発生的なものである。天皇は決してそのような絶対的君主として君臨していた訳ではない。その精神的な統一性は、同一民族の閉じられた島国である-大東亜戦争以前には決して他国の侵略を受けたことがない、あるいは許さなかった-ことから強固なものがある。国家と民族的精神性は強固に結びついている。それは西洋における代表的な民族、ユダヤ人を例にとれば民族的同一性を強く維持していても、住む地域は実に流動的であった。また支那大陸においては、同一地域における異民族の興亡が絶え間なく繰り返されてきた。これらのことと実に大きな対照をなしている。反日左翼とはこの国家-精神的統一体に対する共産主義という全く異質の宗教による攻撃なのである。

戦後レジームと日本の三重苦 6

 
戦後レジームと日本の三重苦


(2015年に発表した論文を 加筆、修正)

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 戦後レジームといっても多様な側面があるので、今まで論じられたことがすべてを包括するわけではないが、極めて重要であることは確実である。白人至上主義―それは欧米の1つの側面であるが、それ以外の共生的要素も多く持っている。そしてアメリカとは安保条約による同盟関係であり、経済上の重要な相手国である。戦後レジーム脱却のためのパラダイムシフトは、必然的にアメリカに対する攻撃的要素を持っている。中国もそのことを見越して、強気の対応に出ているのである。政府レベルでこれを大胆に推し進める事は非常に困難であろう。これは極めて慎重に運ばなければならない問題である。 (この論文は2015年に書かれたものであるが 、この時のオバマ政権から トランプ政権へと変わり 、事態はより好転していると言えるであろう)また、マスコミにはほとんど期待することはできない。出版界はこの問題に対してかなり活況を呈しているが、そのことと関連して最も期待を持てるのがインターネットであろう。これは民間で推し進めていかなければならない。戦後レジーム脱却のためには民間の活力が非常に重要になる―そのための強力な武器がインターネットである。インターネットには様々な問題が指摘されているが、情報伝達のツールとして現代では欠かすことのできないものである。戦後、GHQ統治の情報操作、洗脳を強く受けてきた世代はインターネットの情報から離れたところにいる人も多い。それらの人々は現在でもマスコミの影響を強く受けている。これらの人々に正しい情報を伝える努力も必要であろう。

 よくこのようなことが言われる。 「日本は1回、戦争に負けただけで、誇りを失ってはならない。人類は今まで無数に戦争をしてきた。そのような事は多くの国で経験されてきたことである―だからといって自国の誇りを失ってはいない」 。これはもっともなことであるが、日本の有史の上で外国との戦争で負けたただ1つの戦争、大東亜戦争、太平洋戦争は歴史上のいかなる戦争とも次元の違う戦争だといえるのである。第二次世界大戦は人類史上最大の戦争であった。それは全地球規模に及んだ戦争だったのである。それは白人世界対有色人種世界の対立であり、民族主義対共産主義の極めて複雑で複合的な要因が絡み合った戦争だった。それと同時に第一次世界大戦後の世界は、情報戦、諜報戦が熾烈になっていった。この点でも日本はナイーブであり、劣勢であった事は否めない。プロパガンダ、洗脳の巧妙さは戦後日本のGHQ統治に最大限発揮されたのである。それは洗脳を洗脳と気づけない徹底したものであった。もはやそこでは国際法は無視されるのである。

 日本人から誇りを奪うための徹底した情報操作、洗脳がなされてきたのである。この情報操作は日本だけでなく、欧米諸国、中国、韓国などにも及んでいる。これらを是正し、正しい事実認識を得ることが最重要問題である。日本人としての誇りを回復するには、単なる精神論ではなく確実な事実認識を多くの人々が共有することであろう。さらにこの日本の敗戦によってもたらされた状況が理解困難なのは、複雑な共産主義の浸透が密かになされたからである。このために戦後レジームがこの情報操作、洗脳の継続の上に成り立っていることを理解されにくくしている。これらを行っている当人の動機がよくわからないからである。これが民族主義的動機であれば容易に理解されるが、隠れ共産主義の文化破壊、国家弱体化は非常に巧妙になされていて、極めて分かりづらいのである。 GHQ統治はすべてが否定されるわけではなく、肯定的側面もあったと言えるであろうが、その根底には反日左翼としての共産主義イデオロギーがある事を忘れてはならない。

 この小論の目的は、日本の戦後レジームが白人至上主義、大中華、小中華民族主義、共産主義の外と内からの複合攻撃を受けてきたということを論じることにある。この複合攻撃は、もちろん大東亜戦争以前からの長い歴史がある。しかし、日本が敗戦することによって決定的にその攻撃の箍がはめられたのである。これまでの人類の歴史の中で行われた無数の戦争で、敗戦国がその状況を決定的に固定させられるという事はそう多くはなかった。戦争の要因は絶えず生成されるものであり、そのことによって国際関係も流動化するのである。次の戦争が起きれば、その状況、パラダイムはまた違ったものになる。ところが第二次世界大戦は、次の戦争の状況を決定的に拘束する重大なことが起こった。それは核兵器の出現である。そして、日本は最後にその洗礼を受けることになったのである。核兵器の出現によって、大国間の戦争はほとんど不可能になった。東西冷戦の勃発によって、アメリカの核の傘の下に置かれた日本はその根本的なレジームの性質、パラダイムを変化させる余地がなくなったといえる。現在でも軍事力は国際関係において決定的に重要であり、究極的にはそれは核戦力によって決められてしまう。白人至上主義、大中華民族主義の領域にそれはほとんど集中していて、そのことを加味すると日本の戦後レジーム脱却の対抗勢力は世界の99%の力になってしまうだろう。それだけ途方もなく巨大で困難な問題だといえるのである。

 これは逆に言うと、日本はいかに特異な国であるかということを物語っているだろう。ある意味、白人世界にとって日本ほど恐るべき国はない。19世紀の帝国主義の時代、アジアの他の国と同様に日本も簡単に植民地化できると思っていたに違いない。ところが全くそうではなかったのである―日露戦争の日本の勝利はそれほどまでに衝撃的な出来事であった。そして、大東亜戦争初頭の電撃的な勝利によって、アジアの白人植民地は次々と占領されていった。日本はこれらの地域に独立させるための努力を惜しまなかった。そして、日本は戦争に負けたが、これらアジアの白人植民地は次々と独立していったのである。その影響はアフリカまで及び現在の多くの国が成立した。日本のこの貢献がなければ、依然として世界はほとんど白人植民地に覆われていたかもしれない。たった半世紀で、白人の世界支配は日本によって覆されてしまったのである。日本の敗戦によって、アメリカは超大国となり別の形で支配しているとも言えるが、それは第二次世界大戦以前とは根本的に異なる世界になったのである。日本は世界から包囲されるだけの理由がある―そうしなければ、次に何をしでかすかわからないのである。

 日本がしなければならないのは、現在の政治や軍事力 (もちろん、それも重要なことであるが )とは決定的に異なる「別の何か」でなければならないかもしれない。 その何かとは深く大きな問題であろう。

戦後レジームと日本の三重苦 5


 戦後レジームと日本の三重苦


(2015年に発表した論文を 加筆、修正)

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 ここから反日左翼、共産主義、隠れ共産主義の問題を考えていきたい。これこそが最大の問題であり、大きな謎でもある。日本人以外が反日活動をするというのは、それ自体肯定できるものではないが、なぜそのような活動をするのかということは理解できるだろう。白人至上主義者は当然、有色人種である日本人を見下し、日本人が台頭してくれば反感を持ち、なかには叩き潰したいと思う人もいるだろう。

 同じ有色人種でも、大中華民族主義、小中華民族主義は自分たちこそ世界の中心であるような思想を持っている。有色人種世界では頂点に立って支配したいと思っているし、白人世界に対しても力の劣るときは従属しているフリをするが、力で同等以上だと思えば高飛車な態度に出てくる。当然、日本に対しては、経済力、軍事力などで劣っていたときは友好的であったが、GDPで追い抜いた途端に侵略的な政策に出てきたのである。ただし、その経済力、軍事力は量的に大きくても質の面で疑問視されることが多い。日本に対しては情報戦、諜報戦の側面が大きいだろう。そして日本国内の反日左翼勢力と最も緊密に結びついているのがこの領域なのである。

 共産主義国はその性質上、必然的に日本の国体や資本主義に対して敵対的になる。かつてのソ連はアメリカの同盟国である日本を冷戦の相手としてきたのである。それだけでなく、これまで考察されてきたようにアメリカ内部の隠れ共産主義勢力にとっても、日本の国体は潰すべき対象だったのである。ところが、日本人でありながら日本に敵対する活動をするというのはどのような理由からなのだろうか。

 左翼であることが反日である―これは日本の場合で、すなわち自国に対して敵対的であることが必然である訳ではない。右翼、左翼という言葉はフランス革命の時に生まれたと言うが、このときの左翼勢力が反フランスであったなどということはありえない。現代アメリカの民主党も左翼よりの政党であるが、反米などということはありえないのである。

 日本においても、マルクス主義、共産主義思想が流入してくる以前は左翼といっても決して反日であったわけではない。明治維新はその典型的なものである。 坂本龍馬などは保守である幕府からすれば超左翼であるが、坂本龍馬は熱烈な愛国者と言ってよいであろう。左翼であることが反日につながるのは、やはりそれがマルクス主義、共産主義であるか、間接的にその影響を受けているからだと言えるのである。左翼の中にあるマルクス主義、共産主義の領域に焦点を当てるのが正しい道筋であろう。それは共産主義社会に至れば、上部構造は消滅する―すなわち上部構造の最大のもの「国家」が消滅するのである。そのなかのさまざまなイデオロギーも消滅する。土台ではプロレタリアート、身体労働者がすべてを支配し、生産手段の共同所有による生産が行われるのである。

 すなわち、反国家主義は共産主義の最も本質的なものであるが、これが非常に逆説的でわかりにくいものになってしまうのは、ロシアのように共産党が完全に権力を握ってしまうと、結果的に権力が及ぶ範囲はそれまで以上に国家が強化されるからである。共産主義国家は常に「国家の死滅」のための国家として国家を強化していくことになる―まったく詐術的な国家といえる。まだ、現実に共産主義国家が存在しない時点では、どこかで革命が起きなければその社会形態は実現されない。その段階では現実の社会主義革命が重視されるだろう。しかし、共産主義国家が成立すれば、それに隣接するような資本主義国はたとえ革命が起きなくても、その社会、国家が弱体化、崩壊すればその共産主義国家に引き寄せられ、吸収されることによって共産主義化する、という道筋も成立する。おそらく、ロシア革命後の日本の左翼はこのような可能性を常に持っていたはずである。つまり、日本共産党のように日本国内で積極的、主意主義的な革命を起こす道筋と、フランクフルト学派に影響を受けたような文化的破壊、様々な国家弱体化を目指す道筋とがあるわけである。日本の場合、後者の方が遥かに巨大な勢力になっている、といえるのではないだろうか。これが反日左翼の本質である。このような隠れ共産主義としての反日左翼は、日本共産党のように表面に出た比較的わかりやすい左翼よりも桁外れに危険な存在だといえる。彼らは共産主義的信条をほとんど表に出さないが、共産党と同じくらいマルクス原理主義者である。「国家の死滅」を自明なものとする唯物史観を狂信している点で両者は何の変わりもない。

 これらの事は必ずしも意識されているとは限らず、無意識のうちに行っている場合も多いだろう。特に反日教育の影響を強く受けている場合、その背後の本質的な理由を意識することは困難であろう。1989年から91年にかけての東欧、ソ連の崩壊はこの状況に破壊的な作用を及ぼしたのである。世界では多くの共産党が消滅していった。ところが日本では、勢力が弱まったとはいえ共産党は依然としてなくなる事はなく、マルクス経済学は衰退したが大学教育における左翼傾向は依然として強いものがある。ソ連、東欧の崩壊をマルクス主義、共産主義の否定とはみなさず、自分たちがやればうまく行くと思いこんでいるような姿勢なのである。

 また、現存社会主義の崩壊は反日左翼の姿勢を改めるどころではなく、かえって自暴自棄的な活動を促進した面もある。すなわちマスコミなどによる自虐史観の徹底した強化―従軍慰安婦の捏造や靖国神社参拝問題、その他様々な中国、韓国におもねる報道などに表れている。日教組による反日教育も依然として行われているのである。経済ではバブル崩壊後の金融の引き締めが過剰なほど長く続き、デフレーションが長く尾を引くことになった。円高が進み、日本国内の生産拠点が労働力の安価な中国へと流れていき、日本経済は失業率の上昇、過重労働で疲弊していったのである。中国の経済は急速に成長し、それに伴い急激な軍拡を進めることになった。今から思えば日銀の施策は反日左翼的であったとみなしたくなる。これは隠れ共産主義の日本弱体化―それによる中国への属国化である。この場合でも、現在の中国は共産主義とはまったく逆の強度の資本主義に突き進んでいる、という矛盾を何も考えないのである。まさに白痴化した反日左翼、隠れ共産主義の信者たちである。

 また、大東亜戦争の歴史問題に遡ってみれば、日本の貢献によってアジアの白人植民地支配が終わったというのは全く自明なことであるのに、反日左翼、マスコミ、教育界は一切触れようとしない。それらを侵略だと捏造してきたのである。仮に、反日左翼の中にある唯物史観によっていたとしても、奴隷制からの解放であり、封建制を一気に飛びこして民主的な資本主義市場経済に達したのだから、これは絶賛されるべきことではないだろうか。確かにこの戦争は悲惨な惨禍をもたらしたが、それと植民地支配解放の成果とは分けて考えられるべきものである。しかも、唯物史観では資本主義社会から社会主義、共産主義社会への暴力革命を肯定している。そして実際にはこの革命は、敵対勢力の殲滅戦争の様相を呈するのである。 反日左翼の姿勢は日本の防衛のための戦争には徹底して反戦で、共産主義のための戦争なら問題ない ー完全に肯定するのである。 つまり、戦争そのものに反対しているわけではないのである。このような身勝手で、ご都合主義的な姿勢はもう何と形容したらよいか分からないのである。戦後レジームからの脱却のためには、このような二枚舌勢力を一掃しなければならない。

戦後レジームと日本の三重苦 4


 戦後レジームと日本の三重苦


(2015年に発表した論文を 加筆、修正)

 4


 19世紀終わりからのロシアの南下政策に対抗するために、日本は日清、日露戦争を戦い、朝鮮半島、満州を併合、統治することになった。そして、多数の朝鮮人が日本に流入してくることになった。 その大半が密入国者である 。その中に日本の朝鮮統治に反抗する分子も含まれていたのである。それは事大主義といわれる支那を宗主国とみなし、日本を朝鮮よりも格下に見る民族主義的、歴史的思考、感情の所産でもあった。格下と見ていた日本に併合統治されるなどということは屈辱以外の何物でもなかったのである。そのような一部の朝鮮人と日本の共産主義者は結託するようになっていったのである。両者に非常な共通性がある事は、容易に推察できるところである。社会全体に対する攻撃性、革命性、自分が偉大な存在であるという誇大妄想、虚偽、捏造、歪曲を何とも思わない心性、そして実際に暴動などを実践する行動力などである。

 1923年に起きた関東大震災によって多数の人命が失われたが、その中で日本人による朝鮮人虐殺が起きたというのが通説になっている。これは朝鮮人が日本人を虐殺しているというデマによって日本人が朝鮮人を虐殺したという事件である。ところが、当時の複数の新聞の資料などによると朝鮮人の日本人に対する暴動、略奪、放火、強姦、殺人が起きた事は確実らしい。このサイトを参照、つまり、朝鮮人が日本人を虐殺していると言うデマは、デマではなく事実だったということである。これによって日本人の自警団が組織され、また警官隊とのあいだで乱闘が起き、相当数の朝鮮人が殺害され、負傷したということである。つまり、これは正当防衛の範疇に入る。しかし、この事を日本の共産主義者が様々に歪曲し、捏造し、広めていったのである。当時はロシア革命によって、革命的雰囲気が日本にもかなりあったということも影響している。殺された朝鮮人の人数は、伝わっていくごとに大きくなり、最後には東京にいた全人口よりも増えていたという。現在の南京大虐殺と同じことがすでに起こっているのである。そして、日本人が朝鮮人に虐殺されたという事実は隠蔽されることになったという。これらは再度、詳しく検証されなければならない問題ではないだろうか。現在の通説を広めた歴史家、教育者などは左翼である可能性が高く、到底信用できるものではない。今では明らかになっている韓国人による竹島占領時の日本漁民の虐殺、ベトナム戦争における韓国軍の民間人虐殺などを考えると、震災の混乱時にそのような行動に出る事は信憑性がある。対して日本人は、災害時の行動規範は高いものがある。断定できることではないが、再考しなければならない問題であろう。

 よく言われる朝鮮人の日本への強制連行は連行ではなく徴用であり、それも終戦直前の短い期間でしかない。それらの人は在日朝鮮人の中でわずかな比率である。また、日本での労働には正当な報酬が支払われていたという。確かに徴用には謝罪と補償をしなければならないが、それは1965年の日韓協定によって解決済みである。終戦後、日本政府は朝鮮人の半島への帰還に便宜を払い、帰国を促したが帰らない人も大勢いた。つまり、現在日本にいる在日朝鮮人は自分の意志によって日本に残っているのである。ところが、多くの在日朝鮮人が強制連行され、強制的に日本に留まらされたと主張し、様々な特権を要求してきたのである。この問題は最近、急速に表面化してきているが、ここではこれら在日朝鮮人と戦後レジームとの関係を考察していきたい。

 ここで問題にしたい重要な点は、日本の共産主義者と在日朝鮮人は大正時代くらいから結びついていたということである。朝鮮人が共産主義イデオロギーを信奉していたとは考えにくい。これは共通の目的、日本帝国主義に対する反抗、転覆、 日本の国体破壊という動機を持っていたからだと推測できるだろう。

 そして終戦後、隠れ共産主義のGHQの統治によって、日本は劇的な左翼への転換が行われていた。共産主義者と結託していた一部の反日朝鮮人は、そのことによって急速に社会的な力をつけていったのである。これはアメリカの日本弱体化政策、反日政策と一体化していて、朝鮮半島における決定的な反日への転換と連動している。在日朝鮮人の反日活動は、アメリカのお墨付きもあったのである。例えば、マスコミ、メディアに対する在日朝鮮人の浸透がある。新聞社やテレビ局に朝鮮総連から圧力があり、一定数の在日朝鮮人を無条件に採用しなければならないことになったらしい。そのマスコミも中枢が反日左翼、共産主義者に占められていたのであり、これらは比較的容易に実現されただろう。これは教育界にも同様に起こっているのであり、教科書はそのような方針に沿って作られていくことになる。関東大震災時には少数派であった共産主義者と反日在日朝鮮人は、すでに巨大な社会的公的勢力になってしまったのである。教育界が牛耳られれば、それに学生は感化されていくことになり、反日左翼、共産主義者はたえず再生産されていくことになる。そして、マスコミはたえず偏向報道、捏造報道、そして何よりも重要な事は都合の悪い事実は報道しないという隠蔽によって、社会全体を巨大なイデオロギー空間に変えていくのである。

 こうしてマスコミ、出版界や教育界を共産主義者と反日在日朝鮮人*1らが支配してしまえば、関東大震災における朝鮮人虐殺を既成事実化し、定まった通説のように広めていくことが可能になる*2。こうして日本人に贖罪意識を植え付け、さらに特権を要求していくことができるし、際限のない謝罪と補償を要求していく心理的な基盤が確固たるものになる。そこでまた従軍慰安婦問題のように謝罪をすれば、それをもとにまたゆすり、たかりを際限なく続けていくことができるのである。このような事はありとあらゆる分野に適用されるだろう。メディアを支配することは決定的に重要なことなのである。ここでアメリカ―白人至上主義、小中華民族主義、共産主義は結託して日本を締め上げていく構図が明らかになる。アメリカと共産主義は常に敵対関係にあるわけではない―部分的には利用し合う側面も持っているのである。

 日本の共産主義は、共産党もそれ以外の新左翼といわれる勢力も反米一辺倒のように見えるが、決してそのような事はない。かつてのルーズベルト政権時代におけるアメリカの左翼勢力と日本の共産党は完全に結びついていたといえるし、白人至上主義の人種差別を逆に自らの目的のために利用しているともいえるのである。

 *1在日朝鮮人は通名を日本名のように名乗っている。これは2015年から規制されることになったが、それ以前はこの通名を何回でも変えることができたという。それを公的機関で使用することができるのである。これはその気になれば犯罪に利用できる事は容易に推測できる。これら在日朝鮮人のほとんどは本名を使わず、通名を名乗るので朝鮮人とは気づかれない。日本人になりすましたスパイ的な活動もできるのである。犯罪で逮捕されてもマスコミは通名しか報道しないので、それが朝鮮人とは気づかれないのである。このような様々な特権を手に入れることができたのは、今まで考察されてきたような白人至上主義、ユダヤ人問題、共産主義などの大きく深い歴史的背景が存在するのである。国会議員は日本国籍を持っていなければ立候補できないが、在日朝鮮人は日本に帰化してすぐに立候補し、国会議員になる場合が多いという。経済界、労働組合、反日マスコミの支持も受けやすいのである。このような国会議員は当然、反日的な活動をするようになる。特に民主党はその比率が高い。反日国である中国、韓国、北朝鮮に有利になるような政策をとるのは当然なのである。これらの過程を総合的に理解し、把握することが重要である。

 *2このような事は現代でも様々な形態でなされている。インターネット上の一例としてこちらのサイトを参照。

 これはいかに偏向した虚偽に満ちたものであるか、今では誰の目にも明らかであろう。このように反日左翼はいまだにもっともらしい弁解をして、反日論を展開してくるのである。このような傾向は弾劾していかなければならない。 また、韓国、北朝鮮との間の有事の条件が満たされつつある現在では外患罪の可能性すらあるだろう。


巷に多くの戦後レジーム論が溢れているが、在日朝鮮人問題に全く触れない、あるいは触れようとしない戦後レジーム論は本質から目をそらすための偽物にすぎない、ということである。また、このようにその問題に触れる場合、異常な在日朝鮮人擁護論になるので反日勢力かどうかの指標になるだろう。